名曲「グッデイ・グッバイ」でキリンジ堀込兄弟時代を振り返る!
ブラスロックの雄シカゴへのオマージュが感じられる、1970年代っぽいサウンドが印象的。
「グッデイ・グッバイ」は堀込兄弟2人によるキリンジ時代の人気曲です。
2000年4月にメジャー4thシングルとしてリリースされ、3rdアルバム「3」の1曲目にも収録されています。
2013年には弟の堀込泰行さんが脱退して、6人編成のKIRINJIに移行。
コトリンゴさん脱退による5人編成時代は、2017年から2020年まででした。
変化しつつ、1996年結成と活動歴が長いため、後追いの方もいるでしょう。
逆に、この曲のMVが撮影された江古田プアハウスの激辛カレーが懐かしい。
そんな長年のファンの方も多いはず。
残念ながら喫茶店は2018年10月頃に閉店してしまいましたが、MVの秀逸さは伝説の域に達しています。
失恋が号外として新聞記事になってしまう主人公の物語。
こちらは堀込泰行さんが作詞をした歌詞を紐解く手がかりにもなりますので、併せてご覧くださいませ。
「こんにちは、さようなら」と、どこか矛盾したタイトルがつけられたこの曲。
なぜ主人公は「見知らぬ人」とばかり話したがるのでしょうか。
通りすがりの街で思ったこととは?
こうした歌詞の意味を深掘りします。
1番の歌詞をチェック
のどかな街では小さな事件が起きている
レイディ
張り手うって逃げた大通りを
デイドリーム
もて余して坊やは風船を放つ
出典: グッデイ・グッバイ/作詞:堀込泰行 作曲:キリンジ
女性が誰かをビンタして去り、男の子が風船を空に飛ばしてしまう街。
主人公がぼんやり眺めているのは、そんな日中の光景ではないでしょうか。
のどかな雰囲気が漂いますが、実は小さな事件があちこちで起きています。
MVを参照すると、退屈な午後を過ごす主人公の内面こそが、目に映る出来事とリンクしているのかもしれません。
つまり主人公自身、平手を食らったかのごとく失恋し、大切な人を失ったとも考えられます。
主人公はにぎわう街を冷静に見つめている
そうさ アルバイトがビラを配り
学生がはしゃぐ午後
花盛った街で
出典: グッデイ・グッバイ/作詞:堀込泰行 作曲:キリンジ
登場人物がさらに増えました。
もめて別れたカップルや、風船を飛ばした親子といったペアだけでなく、集団で騒ぐ様子が描かれています。
何かを宣伝し、盛り上がる。
そんな光景を目の当たりにしつつ、主人公自身にはまだ動きがありません。
にぎやかな街に対して、不気味なほど冷静な主人公の視点が際立ちます。
ただ、ビンタや風船の放出といった小さな事件は起きていました。
大勢の人が行き交い、騒がしいながらも、不穏な空気が漂う街。
そろそろ主人公にも何か動きがあるのではないでしょうか。
通りすがりの街で「見知らぬ人」と話したい
グッデイ 誰か さぁ僕と
グッバイ 話さないか
らららららら… 歌う号外さ
グッデイ 見知らぬ人なら
グッバイ 誰でもいいのさ
ねぇ、お喋りをいいだろ?
出典: グッデイ・グッバイ/作詞:堀込泰行 作曲:キリンジ
大勢の他者を見つめるだけだった主人公が「見知らぬ人」に声をかけ、歌い始めました。
どうやら主人公はストリートミュージシャンだったようです。
ただし、日刊新聞のように毎日歌を届けるのではなく、特別な時だけたまに出没するタイプ。
風来坊ですね。
つまり主人公にとっては通りすがりの街ということがわかります。
どれほどたくさんの人がいても、誰1人として知り合いではありません。
知り合いでなければ相手がどのような人でも構わず、とにかく話したいとばかりに声をかけまくっています。
その呼びかけがタイトルの「こんにちは、さようなら」だったわけです。
出会って、話して、別れる。
これが一連の流れになっています。
のどかな街の不穏な空気に主人公の歌も含まれていたことがわかりました。
誰かと会話したいのに、知り合いは嫌というストリートミュージシャン。
知られたくない素性があるのか、人間関係でトラブルを起こしたのか。
想像を膨らませ、次へ進みましょう。
2番の歌詞をチェック
お婆さんが危険な道を乗り越えて放った一言とは?
ドライバー 鳴らすクラクションも
色とりどりで
道路を渡りきって
老婆はフーテンと笑う
出典: グッデイ・グッバイ/作詞:堀込泰行 作曲:キリンジ