風の歌には歌詞があるということ
風に誘われて君と歩く
ちょっとしたリズムに乗るだけで
揺れてる木々からハナウタ 街の中を流れてく 風ん中
ふたりを祝福するウタ そう感じた
出典: ハナウタ~遠い昔からの物語~/作詞:宮本浩次 作曲:宮本浩次
「ハナウタ」とは風に揺れる木の葉たちが響かせるものだと告白します。
つまり人間が呑気にハミングしている歌とは少し違うものを宮本浩次は想定するのです。
木々のざわめきの中から聴こえてくる音楽に物語のようなものがあると考えています。
それは太古からずっと地球の木々を揺らしていた風が呼び込むものです。
もしくは海の波音から音楽を発見することもあるでしょう。
宮本浩次はバラエティ番組でお笑いに転向する意志はないのかとよく尋ねられます。
その度に彼は「僕は音楽バカだから」と答えるのです。
何のことでも音楽のことに結び付けて考えてしまうような人物像こそ宮本浩次の素顔でしょう。
しゃべりや挙動がバラエティ・タレント並みに面白かろうともこうした芯の部分は譲れません。
宮本浩次にとっては風の音や波の音のすべてが音楽に通じるのです。
彼はその音楽をインストゥルメンタルとして聴いている訳でもありません。
言葉の人でもある彼はその音楽に歌詞まで聴き遂げるのです。
素晴らしい才能というものはこうした特色をもって現れるものなのでしょう。
風に答えを聴くような仕草
オレは自然が奏でる「ハナウタ」が愛の讃歌であると直感します。
君にオレと同じような才覚があるのかは判然としません。
しかしオレは君にも「ハナウタ」を聴き遂げるだけの力があることを信じています。
なぜならこの音楽はふたりのためにあると感じられるからです。
もちろんオレの直感に頼った答えに過ぎません。
しかしオレには驚くほどのピュアさというか素朴さがあります。
自然が善意でふたりに届けてくれたものは君とシェアできると真っ直ぐに信じるのです。
一方でこの自然の描写が都会の風景に溶け込んでいることも大事でしょう。
何も山や海に足を運ぶ必要はないのです。
街路樹の木々だって風に揺らされて音を奏でます。
これこそまさに「風の歌を聴け」の心境でしょう。
ボブ・ディランが答えは風の中と歌ったのと同じ状況です。
一見意味を成すとは思えない自然現象ですが、心の有り様によって物語を聴くことができる。
これこそが「ハナウタ~遠い昔からの物語~」を理解する大きな鍵になる感性の正体です。
空間と時間と音楽と
こうして365日の色を集めて
「これはオレからの贈り物だよ」っていえたら
いろんな季節彩っていくふたりの時間を
そう ハナウタと名づけよう
出典: ハナウタ~遠い昔からの物語~/作詞:宮本浩次 作曲:宮本浩次
毎日にはその日にしかない色というものがあると歌っています。
実際に一日として同じ日はきません。
その日ごとにオレは君への深い想いを紡いでいます。
毎日、違った想いというものを溜め込んでゆくのです。
そのためにふたりがともに過ぎゆく時間そのものが大事なものになります。
ここではその共有した時間というものをオレは「ハナウタ」と呼ぶのです。
音楽というものは空間と時間がないところには存在しえません。
この真理を別にして宮本浩次は時間というものにも音楽を聴いてしまう感性を示します。
時間というものがあるところには当然に音楽もあるのだという発想をするのです。
もちろんこれまで見たように歌詞入りの音楽でしょう。
確かに時間という悠久の歴史を持つものの中で様々な音が鳴り響いてきました。
そして人間がいる限り、そこには意味をなす何ごとかの記憶があったとオレは信じます。
そのストーリーも含めて君と共有したいと願うのです。
オレの愛情の深さをさらに実感できる箇所でしょう。
何でも君とシェアしたいと願うオレの存在は際立っています。
一方で君に関しての情報はほぼ明示されていません。
この点も大きな謎かもしれませんので、あわせて考察してゆきましょう。
そろそろ終盤に差しかかる箇所です。
最後に すべて愛が動機だった
宮本浩次の等身大スケールとは
過ぎ去った光の中で
そよぐ木々と 俺たちと いつもどおりの毎日と
あの日から変わらぬ空 思い出抜けられずにいた
だけど 分かり始めた 繰り返されるこの物語の意味を
出典: ハナウタ~遠い昔からの物語~/作詞:宮本浩次 作曲:宮本浩次
宮本浩次の詩才が一瞬にスパークしていてとても感動的なラインです。
なぜ毎日は変わらないように過ぎてゆくのでしょうか。
光というものはとうに消え去ってしまった印象さえあるのに風は変わらずに木々を揺らします。
揺れる木々は当然のように音楽を奏でるのです。
ふたりは幸いなことに何ごともないかのように暮らせています。
オレは日々の反復というレッスンの中で気付くことがあると歌うのです。
悠久の歴史を持つ物語というものもきっと変わらない日々の中で紡がれたものだと悟りました。
ふたりの生活もこの歴史の中で意義を持つものだから大事にしようと愛の根源的な意味を見つけます。
記憶というものもこの歴史の中ではとても大切なものだとも考えるのです。
宮本浩次はここまできてやっと分かったことだというように歌います。
そのとおりエレファントカシマシの歌詞のスケールが大きくなった理由もこの辺りにあるのでしょう。
人生を過ごしてこの季節になってやっとこの見地に立てたと宮本浩次は告白しているのです。
四畳半的な世界観さえ感じさせた初期のエレファントカシマシも愛しいでしょう。
しかし人間として「ハナウタ」の意味を知ることができるようになった宮本浩次。
彼はスケールの大きいラブソングを書きまくる根拠になるだけの経験を積んだのです。
壮大なスケールなのにこのときの宮本浩次の等身大の考えなのですから驚かされます。
壮大なラブソングである理由を知る
ああ 生まれて、消える
ああ 光よ、愛よ
一瞬でつながるこのときめきの思いは
俺たちを明日へと運ぶ風 遠い昔からの物語を
そう ハナウタと名づけよう
出典: ハナウタ~遠い昔からの物語~/作詞:宮本浩次 作曲:宮本浩次
いよいよクライマックスの歌詞になります。
君というワードは消えました。
ここでは力強くオレたちと歌います。
おそらく宮本浩次はリスナーが君という人物に自身の姿を投影しやすいように白紙にしたのです。
君について白紙ではなく書き込みを多くするとリスナーは自身の思い入れが難しくなります。
つまり君とはリスナーのことでもあるという可能性を宮本浩次はわざと残してくれたのです。
私たちは宮本浩次とともに風の音を聴き、木々のざわめきに耳を傾けて「ハナウタ」をシェアします。
その「ハナウタ」は様々な物語を記録しているのです。
物語の意味というものはおおむね愛によって連綿と紡がれた私たちの歴史に由来します。
そこに森羅万象の様々な情景も描かれているのです。
私たちはこの物語を手にするとすぐに理解し合えるのだとオレは歌います。
相互理解できるものであり、手渡すなどコミュニケーションを媒介に広まる物語です。
この物語は過去のことだけを書いたものかもしれませんが日々の中で私たちが内容を加えます。
こうして未来を拓いてゆけるという希望を得られるのだとオレは歌うのです。
「ハナウタ~遠い昔からの物語~」
エレファントカシマシが新しい次元へ進んで行ったことをドキュメントのように記録しています。
宮本浩次の悟りの瞬間に立ち会ったかのような印象さえ持てるのです。
この歌をエレファントカシマシのファンだけが専有するのはもったいないことでしょう。
何せ「ハナウタ」とはもっと壮大なスケールの時空間において紡がれたものだからです。
クライマックスで宮本浩次は光と愛をともに引き合いに出しました。
そしてそれは生まれては死にゆくものだとも歌います。
ただ一代だけで完結するパーソナルな物語ばかりではないことに注意を払ってと歌うのです。
それこそ私たち、もしくはオレたちは太古から引き継いできた物語に参加しています。
この物語を書けるのはそこにずっと愛というものがあったからだと宮本浩次は伝えきったのです。
愛こそあらゆる生物がここまで生命を紡いでこられた動機や動力に当たります。
とても大きな意味でのラブソングが「ハナウタ~遠い昔からの物語~」の正体なのでしょう。
ここまで読んでいただいてありがとうございました。