胸に響く「鼓動」
藍井エイルが歌う「鼓動」は2021年6月に発表された楽曲です。
「鼓動」といえば、イメージするのは心臓の鼓動ですが、この楽曲もイメージは同じ。
私たちの身体が生きていくために必要なもの。
しかし、この鼓動は、単に心臓という臓器だけを表すものではありません。
心に起こる「自らを生きる」という意思。
それを表現しています。
生きていれば、たとえどんな信念を持っている人も揺らぐことがある。
揺らぐことは仕方のないこと。
その揺らぐ信念を保ち続けることこそが、最も大切になってくる。
では、どうやって信念を保つのか、それを熱く強く描いた楽曲がこの「鼓動」なのです。
では、そのリリックを深く掘り下げてみましょう。
壁を打ち破るために
他人のせいにできないのは
変わらない毎日の中、
見失った期待
全部自分のせいにして
それで終わらせてた
出典: 鼓動/作詞:Eir 作曲:山田竜平
何も変わらない毎日は平和です。
嵐が来ない分、毎日静かに穏やかに暮らしていけます。
でも、ここで表現されているのはそんな単に穏やかな日々のことではありません。
「見失った期待」は、自分がかつて何かに期待していたということ。
つまり、変わらない毎日になってしまったけれど、以前は違った。
期待していた事象があったけれど、それが叶わずに期待すらも見失い生きているということ。
虚無感を感じる中で生きる日々を表現しているのでしょう。
そして、それを自分のせいにしている。
期待したことが叶わなかったのは、私がいけないから、私のせい。
具体的な理由付けをせず、自分のせいだとひとくくりにすれば、深く考えずに済みます。
そうして掘り下げることなく、終わらせていた今までの自分が表現されています。
目の前の壁を壊せたら
僕らは脆く儚い存在だけど
いつか目の前の壁を壊したら
強くいられるかな
過去を超えろ
出典: 鼓動/作詞:Eir 作曲:山田竜平
今までは、何かといえば自分のせいにして終わらせてしまっていた。
そんな自分たちはとても儚い存在だと、その弱さを表現しています。
「僕ら」とあるように、これは特定の自分だけを歌っているのではありません。
今の世界の生きる私達全て。
私たちという人間は、弱く儚い存在なのだということです。
しかし、そんな儚く弱く脆い私たちだって、何か変えることができるのではないか。
いつか、自分の目の前にある壁を壊したら、変われるのではないかと歌っています。
目の前の壁とは、自分達の前に立ちはだかる「自分で超えられない」と思っていること。
例えば「私なんてこの程度だし」と諦めてしまう心。
また「難しい夢だから無理」と途中で挫折してしまう思い。
そんな今までの自分を打ち破ることを、「目の前の壁を壊す」と表現しています。
諦め、挫折する心を打ち破ることができれば、過去の自分を超えることができるのです。
「優しさ」とは何か
誰もが優しくありたい
最低な憂鬱が
心を締めつけていく
ただ優しくありたかった
だけなのに
出典: 鼓動/作詞:Eir 作曲:山田竜平
優しい心を持つことは素敵なことです。
しかし、ここでいう「優しさ」は、それとはちょっと違うようです。
「最低な憂鬱」とあるように、悪い気分が描かれています。
悪い気分が心を締め付けるのですから、心に後悔という思いがよぎっているのでしょう。
「優しく」ありたかった、優しいと思われるような行動をしたかった。
もしくは自分が「私は優しい」と思える行動をしたかったのかもしれません。
でも「そうしたかっただけなのに」と、後悔しています。
つまり、優しさではなかったと感じているのでしょう。
「優しさ」とは難しいものです。
本当のことを伝えるのが「優しさ」とされれば、伝えずに傷つけない「優しさ」もある。
「優しく」見られたいがゆえに、必要なことを言わず穏やかな姿勢を保とうとする人は多いもの。
しかし、それが本当の優しさなのか、わからない。
このリリックは自分が優しくあろうとしたことが、実はそうではなかったと気づいた表現でしょう。
言い訳が頭を泳ぐ
ねぇ何度僕らは傷付いたり
傷つけたりしてきた?
頭の中 言い訳が
雑に泳いでいた
出典: 鼓動/作詞:Eir 作曲:山田竜平