「グラスとラムレーズン」のドラマ
2019年10月30日発表、ずっと真夜中でいいのに。の初のフル・アルバム「潜潜話(ひそひそばなし)」。
このアルバムに収められた楽曲はどこかすべて「潜潜話」のような雰囲気を醸し出します。
アルバム収録曲の中から「グラスとラムレーズン」をご紹介しましょう。
ずっと真夜中でいいのに。の歌詞の意味はとてもじゃないですが分かりやすいものではありません。
しかし言葉のひとつひとつを丁寧に紐解いてゆけば何かしらの思いが透けてくるでしょう。
ACAねによる作詞は詩才にあふれたものであることに変わりはありません。
ひとりでいたがる主人公があの子といることの煩わしさについて「潜潜話」をしています。
内緒にしたいような心の声が歌になってつぶやかれているのです。
朴訥としたつぶやきの中にあふれている毒のようなものを浮き彫りにしましょう。
ACAね自身は「学生のときにひとりで寝ていても心配されないために苦心した」といいます。
この傾向が歌詞に反映したというのですが、明らかに恋愛要素が登場するのです。
そのため恋愛要素を根拠に置いた解釈をしました。
かなり難しい歌詞ですので覚悟を決めてお付き合いください。
届けられた作品を好きに解釈するのは私たちリスナーに委ねられた大切な自由です。
恋愛要素を無視した解釈も可能でしょう。
この記事は恋愛要素を重視しますが、どちらにしても楽しみながら見てゆきたいです。
それでは実際の歌詞をご覧ください。
微妙な空気のふたりは
感覚的な言葉遣いに惑う
あ? は? あー。、
誓いに頼れない
その場限りシェア次第
グラスとラムレーズン
躱すタイプのあの子に
出典: グラスとラムレーズン/作詞:ACAね 作曲:ACAね
歌い出しの歌詞です。
ACAねが感覚的なものをいかに大切にしているかが冒頭で分かります。
言語として成長しない思いのようなものまで歌詞に加えているのです。
句読点の転倒した使い方なども確信犯的でしょう。
こうした仕掛けは歌詞カードを読み込まないとよく分かりません。
ずっと真夜中でいいのに。のACAねのボーカルは言葉を聴き取れないときもあります。
歌詞カードとともに鑑賞して欲しいという想いがあふれてくるのです。
登場人物は語り手とあの子。
語り手は一人称ベースで話を進めますが僕とも私とも主語が出てきません。
日本語は主語を省略しやすい言語ですが歌詞の中でもこうした傾向を推し進めるのは珍しいです。
主語というものへの不信というようなポスト・モダン思想とは関係はなさそう。
しかしポスト・ポップスみたいなずっと真夜中でいいのに。の在り方の根本的なモダンさが透けます。
ハーゲンダッツのラムレーズン
まずタイトルが不思議です。
この箇所で早速タイトルを回収してしまいます。
後の進行を先取りするとハーゲンダッツアイスクリームのラムレーズンかなと思われるのです。
ハーゲンダッツのラムレーズンをグラスでシェアするような瞬間を描いているのでしょう。
そう解釈するとあまりに他愛のない生活の場面が浮き上がってきます。
誓いという硬い言葉は僕もしくは私があの子と交わしたものでしょう。
しかしあの子は誓いなど大して気にしません。
容易に誓ったことをちゃぶ台返ししてしまうのでしょう。
そんな移り気な子と美味しいハーゲンダッツアイスクリームをシェアしなくてはいけません。
グラスにハーゲンダッツのラムレーズンを分け与えます。
分量はあの子の気分に任されるのでしょう。
描かれているのは日常の一コマですから特に教訓を求められる歌詞ではありません。
それでもふたりの関係性のようなものがちょっとしたドラマを引き出します。
自由連想法で書いたような歌詞
耳障りだと言われた鼻歌
泣き口歳る白虎隊
黄ばんでないレコードには
カラメルで色をつけて抱きしめた
出典: グラスとラムレーズン/作詞:ACAね 作曲:ACAね
あの子は僕もしくは私の鼻歌を嫌います。
鼻歌さえ嫌われるのですからふたりの関係は少し冷え込んでいるのでしょう。
ハーゲンダッツアイスクリームのラムレーズンをシェアする関係です。
それならば恋仲であることが推測できます。
一緒に住んでいて倦怠期が進行しているような状態かもしれません。
泣きじゃくっているのは白虎隊というラインはお手上げです。
白虎隊は戊辰戦争での少年兵たちの軍隊のこと。
負け戦に駆り出された白虎隊は基本的に悲劇です。
泣いてしまった少年兵もいるかもしれません。
それがふたりのドラマでどのような意味を持つのでしょうか。
おそらく鼻歌を叱られて泣きべそをかいてしまったのでしょう。
ACAねはどこまでも感覚的に歌詞を紡ぎます。
シュールレアリスムの自由連想法での詩作のようなことをするのです。
リスナーはACAねの歌詞というものをずっと真夜中でいいのに。の音楽そのものの響きとして聴きます。
ずっと真夜中でいいのに。の歌詞に感動して泣くほどの思いで人生が変わったという人は少ないでしょう。
しかし歌詞というものの固定観念を覆されたというリスナーは多いはずです。
ずっと真夜中でいいのに。J-POPの歴史に新しい価値を加えてくれました。
アナログ・レコードはたいてい黒い塩化ビニールです。
劣化することはもちろんあります。
しかし黄ばむような劣化の仕方はしません。
僕なのか私なのか語り手はハーゲンダッツのカラメル味をレコードに塗りつけたようです。
その真意は分かりませんが比喩なのでしょう。
旧い音楽のサイケデリックな印象を抱きしめるように愛したのかもしれません。
相反する思い
ロックンロールが鳴り響く
嫌われた癖は歌わせるように
気付かないうちロックンロールに鳴って逆に良かった
出典: グラスとラムレーズン/作詞:ACAね 作曲:ACAね
僕あるいは私には鼻歌の癖があります。
その癖をあの子は耳障りだと嫌うのでした。
それでも僕あるいは私は歌い続けたことになります。
ここにふたりの関係が倦怠期で好き勝手にやっている状態だと分かるでしょう。
嫌われた鼻歌は息が荒くなってまさにロックンロールのように響いたのです。
僕あるいは私はそのことに満足げですがあの子の気分は害されたでしょう。
ロックンロールの裏付けになるような美学への訴えがこのラインには潜んでいます。
ずっと真夜中でいいのに。の音楽はポップであってもスタンスとして新しさを狙うのです。
そうした音楽的な野心はどちらかというとロックンロールが担ってきたものでしょう。
いまではあまりロックなど聴かれなくなってしまいました。
しかしアーティストのアティテュードとしてロックな在り方は健在なようです。