この歌が誕生したきっかけ
ボランティア活動が始まり
1961年。
東京下目黒の下宿の一室に10数名の若者が集まりボランティアグループが結成されました。
グループの名前は"ハーモニィサークル"。
そのメンバーの一人が「今日の日はさようなら」の作詞作曲者である金子詔一さんです。
グループ名に使われたハーモニィは音楽でよく使われるハーモニィではなく人間関係を意味するもの。
非行少年を救おうというモットーのもと、ボランティア活動が盛んに行われました。
1963年、金子さんはそのサークル会員のはからいで西ドイツに行くことになりそこで多くの経験をします。
まだベルリンには壁があり、壁を越えようとした人達が銃殺されていた時代です。
この訪独からの帰国後しばらくして、この曲は誕生しました。
歌詞にはその時に感じた思いが色濃く反映されているようです。
財団法人のオリジナルソングとして
"ハーモニィサークル"はその後"ハーモニィセンター"となり1976年財団法人化されました。
「今日の日はさようなら」は当センターのオリジナルソングとして幅広く歌われるようになります。
誰の心にも宿る明るい面を見ようというセンターの方針に呼応するように。
言葉にすると少し気恥しいくらいの歌詞かもしれません。
でもこれくらいストレートにハッキリと前向きさを説く歌があってもいいように思います。
青臭い純粋な青年の思いを歌にして、万人に届けようとしたんですね。
フォークゲリラとは一線を画するフォークソング
フォークソングを利用し反戦運動
1960年代には日米安保闘争などに端を発した大規模デモ運動がたびたび発生。
学生の間でも勉強そっちのけでデモ活動に参加するものが現れ、学生運動を先導するようになりました。
そんな時代に生まれた「今日の日はさようなら」はフォークソング界の大ヒットソングに。
フォークソングは音楽のジャンルのひとつです。
アコースティックギターを片手に元来は民謡や民族音楽を奏でるジャンルの音楽を指します。
時代とともにフォークソングは反戦などを唱えるためのツールのひとつとして形を変えていきました。
大都市では反戦を訴える市民や学生の反戦集会が勃発。
集まった人々は歌で自分たちの思いを声高に表現しました。
マスコミはそれらをゲリラにたとえフォークゲリラと書きたてました。
それによりこの時代のフォークソングには少しダークなイメージがつきまとうことになります。
時代の空気に流されないために
ヘルメットを被り手拭いで顔を半分隠した青年たちがギター片手に自分たちの主張を歌にする。
そんな若者たちで街は溢れました。
ただすべての若者がそうであったわけではありません。
作詞作曲者の金子さんもそんな若者のひとりでした。
自分は権力に楯突くようなタイプではない。
なので明日を夢見て、希望の道、信じあう、そんな言葉で歌を作りました。
ただいざ人前で披露した時には、そんな美辞麗句がずらり並んだ歌詞を、恥ずかしいと感じたとも話しています。
それでも自分と同じように反社会的空気に馴染まない人達が沢山いることを感じていた金子氏。
そんな人達のために正統派のフォークソングを作ろうと思ったのでしょう。
あらゆるシーンで歌い継がれる名曲
色んなシチュエーションで色んな人が
森山良子が1967年にリリースしたシングル「恋はみずいろ」のB面の他、多くの形で歌い継がれています。
1973年には高校の音楽の教科書に掲載され、1974年には「NHKみんなの歌」で本田路津子が歌い放送されました。
ボーイスカウト、ガールスカウトの活動におけるスカウトソングにも採用。
卒業式でもよく耳にする歌ではないでしょうか。
当時話題になったのが米国のシンガーソングライター、ジョーン・バエズが日本語で歌ったことです。
1960年初頭にはすでにフォーク界の第一線で活躍するアーティストとして影響力のあった彼女。
その世界のバエズがレコードとして発売するくらい、人種を超えて愛される曲だったんですね