歌手人生を記念する曲です

鳥羽一郎【兄弟船】歌詞の意味を徹底解説!兄弟にとって船はどんな存在?海に生きる兄弟の絆を解き明かすの画像

鳥羽一郎さんといえば「兄弟船」ですね。代表曲であることは間違いありません。

まずはリリース情報からご紹介します。

「兄弟船」(きょうだいぶね)は、1982年8月25日にリリースされた演歌歌手・鳥羽一郎のデビューシングルで、鳥羽の代表曲でもある。

出典: https://ja.wikipedia.org/wiki/兄弟船

この楽曲で鳥羽一郎さんは歌手人生のスタートを切りました。

記念すべき曲でもあり、代名詞ともいえる曲になったのです。

船に乗れば向かうのは大海原。「兄弟船」も優しいだけではない海を舞台に、描かれています。

生命をかけて

船に乗って魚を獲るのが漁師さんの仕事です。

大自然を相手に行う職業ですが、こんなことわざがあります。

「板子一枚下は地獄」。

船に乗る人間と海との距離は限りなく近い、足元の直ぐ下は海ともいえるのです。

一旦海が荒れれば、地獄に行ってしまったような命の危険にさらされる。

デビュー前の鳥羽一郎さんもこのような体験をしていました。

三重県鳥羽市石鏡町出身。父は漁師、母は海女という漁業一家に生まれた。5年間、遠洋漁船の船員としてパナマやインド洋までマグロやカツオの捕獲に従事。海が荒れれば命さえ落としかねない厳しい環境での心の慰めは、『別れの一本杉』『なみだ船』といった船村徹の作品だった。

出典: https://ja.wikipedia.org/wiki/鳥羽一郎

生命の危険に恐怖を覚えてもそれを癒やしてくれるのが歌でした。

平穏を得られない状況の中、日本の歌謡曲その中でも演歌が鳥羽一郎さんのモチベーション維持になったのでしょう。

そして、船から降りた鳥羽一郎さんは別の道を歩き始めたのですね。

だが実弟の山川豊が東京での活躍もあり、もともと抱いていた歌手への想いを断ち切れず27歳で上京。かねてから憧れの存在だった船村に弟子入りし、3年間の修行生活を経て1982年、出身地に由来する芸名をつけて『兄弟船』で歌手デビュー。

出典: https://ja.wikipedia.org/wiki/鳥羽一郎

先程もデビュー曲とご紹介しましたが、人生においても、新たなスタートとなる曲です。

船から降りて活躍の場は陸になりました。

でも歌はここまでの経験があったから生まれたのでしょう。

恩人でもあり恩師でもある、作曲家・船村徹さん。

そして歌詞を作った星野哲郎さんの「生命への思い」が伝わってきます。

お待たせしました。この後は「兄弟船」の歌詞解説を始めましょう。

一緒なら

咲き誇る

鳥羽一郎【兄弟船】歌詞の意味を徹底解説!兄弟にとって船はどんな存在?海に生きる兄弟の絆を解き明かすの画像

波の谷間に 命の花が
ふたつ並んで 咲いている

出典: 兄弟船/作詞:星野哲郎 作曲:船村徹

今日の海の様子はどうなのでしょうか。

「波」はあるけれど、出港ができる状態のようですね。

歌詞は海の状況を描いて始まりました。

レジャーで行く海ではありません。波と波の間が「谷間」のように見えています。

そこへ落ちてしまう心配もある、海の厳しさを表しているのでしょう。

でも今そこにあるのは「ふたつ」の「命」。それは誇らしげに咲く「花」のように見えています。

兄と弟2人の生命を表す歌詞です。その強さも伝わってきますね。

海に向かうことを恐れない力は2人だから出せるのでしょう。

2人一緒だけど、1人1人それぞれのパワーでできた強い生命が見えています。

思い入れ

兄弟船は 親父のかたみ
型は古いが しけにはつよい

出典: 兄弟船/作詞:星野哲郎 作曲:船村徹