再びAメロ。
中々、解釈が一筋縄ではいかない歌詞が登場します。
前半の「Yummy」と、ここでの「Yummy」とでは違う意味を持ち始めているように感じるのです。
厳密に「あの娘が魅力的」というスラングで解釈すると支離滅裂になります。
いつしか「Yummy」も呪文化させてしまったと考えたほうが良さそうです。
ロックが根付かない日本の市場
ロックンロールの茨の道を行くか、安定した生活を望むか?
この二択問題はサザンオールスターズが抱える実際のジレンマとも関係がありそうで深いです。
成功続きに見えるサザンオールスターズですが、そんな簡単な歴史ではありません。
彼らの軌跡を仔細に見てみるとロック色を濃くしたために一時期セールスを落としていることに気づきます。
ロック・サウンドを全面に押し出したこの曲「BOHBO No.5」自体もそのことを証明するのです。
2003年の「勝手にシンドバッド(再発)」から5作続いたオリコンチャート1位の記録が途絶えるのがこの曲です。
もちろん「BOHBO No.5」もオリコンチャート3位と大健闘します。
それでも前の5作のシングルよりランクを落とすのです。
決して曲のクオリティが落ちたわけではありません。
単に日本の市場ではいまだ骨太なロック・サウンドが理解されないという悲しい背景があるのです。
より鮮やかな時代への追憶
茨の道か安住の地かの二者択一。
その答えは友よ、風の中にある。
時代は流れ、いま君は何処にいるのだろう?
もう戻れない若くて輝いていた日々。
ボブ・ディランの孤独な闘い
ボブ・ディランはアコースティック・ギターからエレキ・ギターに持ち替えたとき客席から罵倒されます。
「裏切り者」呼ばわりする観客。
ボブ・ディランは「僕は君を信じないね。君は嘘つきだ」と客席に向けて叫ぶのです。
そしてありったけの大音量で「Like A Rolling Stone」を演奏します。
アーティストとしての意地だけでなく、若きボブ・ディランそのものが生命の輝きを魅せた瞬間です。
桑田佳祐にはこうした時代への憧れがまだ胸でくすぶっているのでしょう。
間奏はゲスト・ギタリストの斎藤誠と原由子のハモンド・オルガンの応酬で熱い演奏です。
桑田佳祐の真摯な人生論
この曲の最大の見せ場
人は誰もが舞台(ステージ)に立っている
輝く主役(ほし)になれ
ひとりひとりの命にゃ意味がある
生きてく理由(わけ)がある
出典: BOHBO No.5/作詞:桑田佳祐 作曲:桑田佳祐
誰もが自分の人生の主役
桑田佳祐の人間哲学
人間は生まれたからには誰しもが自分の人生の主役です。
当たり前のことのようですが、そう単純な問題ではありません。
たとえば全体主義国家体制のもとでは、人生はそうすんなりとはいかないです。
為政者や体制の抑圧、圧政により自分の人生から自分自身が疎外されてしまいます。
そうした環境下ではひとは本当に自分の人生を生きることができたとはいいづらいです。
また全体主義国家ではなく、現代資本主義国家でも人生の疎外は切実な問題。
時間と労働を切り売りして生きる私たちはどれほど自分の人生を生きているといえるでしょうか?
それでも桑田佳祐はロック・サウンドに乗せてひとびとを鼓舞します。
輝く主役(ほし)になれ
出典: BOHBO No.5/作詞:桑田佳祐 作曲:桑田佳祐
自分の人生では自分こそがスターになれと歌うのです。
たとえばナチスの強制収容所で無益で過酷な労働を虐げられたかつての被収容者たち。
人間として扱われず無残に死に絶えていった彼らでさえ、夜眠る前には敬虔な祈りを捧げて生きました。
人間というのは悲惨な極限状態にあっても、自分の生に意味を持ち続けたいと願う存在です。
ひとりひとりの命にゃ意味がある
生きてく理由(わけ)がある
出典: BOHBO No.5/作詞:桑田佳祐 作曲:桑田佳祐
強制収容所という極限状態を意識せずとも私たちは自分の命に意義をもたせて日々を生きます。
それはおおむね幸福になるためです。
桑田佳祐は私たちが見失いがちな埋没した人生や生活に再び喝を入れるように力強く歌い上げます。
歌唱も演奏も素晴らしい迫力。
この歌詞のラインに潜むひとを鼓舞する力を最大限に引き出すにはロックンロールでないと駄目です。
歌はサビへと雪崩込んでいきます。