あたりまえに過ぎ行く毎日に
恐れるものなど何もなかった
本当はこれで そう 本当はこのままで
何もかも素晴らしいのに
出典: 風に吹かれて/作詞:宮本浩次 作曲:宮本浩次
「オレ」と「おまえ」のふたりでいた期間は凪のように穏やかな日々でした。
怖いもの知らずのままでいられた毎日。
何も別れを意識することなどないのかもしれない。
まだまだふたりで暮らしてゆくことさえできそう。
それなのに何故ふたりは別れようとするのでしょう。
男女の決断はときに理屈では解けない答えを導き出すものです。
明日をよりよく生きてゆくためには一度ふたりの生活を解消しようとする意志。
そこには若干の迷いがあることを伝えます。
「仕方ねえんだよ」というつぶやき
宮本浩次の諦念
エピック・ソニー時代、エレファントカシマシは決してメディア露出が多いバンドではありませんでした。
それでもアルバム「奴隷天国」のプロモーションでテレビ東京の夕方の番組に宮本浩次ひとりで登場。
曲はアルバム・タイトル・ナンバーの「奴隷天国」です。
日本人の奴隷根性を強烈に批判する歌。
ただし、テレビ演出はギャルたちが「奴隷天国」に合わせて踊り狂う中、宮本浩次がシリアスに歌うというもの。
歌唱が終わった後に宮本浩次は「仕方ねえんだよ」とつぶやいてマイクを床に落とします。
ボコッと衝撃音を鳴らして落下したマイクを振り返りもせずにステージから捌ける宮本浩次。
彼が発した諦念からの「仕方ねえんだよ」という言葉が鮮烈でした。
自分の意志ではどうにもならない状況に追い込まれると宮本浩次は「仕方ねえんだよ」と独り言をつぶやく。
「風に吹かれて」の「オレ」が「おまえ」との別れを決める心境もまたそのような状況から発せられます。
うまくいっているはずなのに身動きできなくなる毎日につい「仕方ねえんだよ」とつぶやいて別離を意志する。
人生の光芒。
うまくいく日々だけではありません。
「明日」を期待する「今日」
そしてまた風の中へ
明日には それぞれの道を
追いかけてゆくだろう
風に吹かれてゆこう
出典: 風に吹かれて/作詞:宮本浩次 作曲:宮本浩次
Bメロです。
「オレ」と「おまえ」のふたりは関係を一度精算して新しい生活へと歩んでゆきます。
「明日」を待望する「今日」の視点です。
新しい生活を始めてもそこには「普段と変わることのない風」が吹いているはず。
その風に吹かれていようと歌います。
これまでの生活は解消しますが風だけが昔日の空気を含んでいる。
宮本浩次はベッタリとした感性の持ち主ではありません。
さらりと吹き流す風だけに過去や今日の残り香を嗅ぐのです。
自分との別れの歌
男女のドラマを超える歌詞
さよならさ 今日の日よ
昨日までの優しさよ
手を振って旅立とうぜ
いつもの風に吹かれて
出典: 風に吹かれて/作詞:宮本浩次 作曲:宮本浩次
サビの歌詞です。
「オレ」と「おまえ」の暮らしとの別れを歌います。
まるで別れを祝うような心境さえ覗ける歌詞です。
宮本浩次が歌いたかったのは果たして本当に男女ふたりの別れのドラマだけだったのでしょうか?
エレファントカシマシが新しいステージへ進んでゆくことの宣言のようなものでもあった。
「風に吹かれて」がリスナーに訴えたことはこれまでの自分との別れと明日への希望です。
そのメッセージのようなものは歌詞の中の男女のドラマを超えてゆきます。
旧来のレコード会社との契約が終了。
「ドサ回り」を繰り返した日々。
新しいレコード会社へ移籍しこれまでにない風通しのよい音楽で新しいファンを獲得。
そして夢見た明日でシングル「今宵の月のように」の大ヒット。
バンドとして初めての大ヒット曲の誕生で一気にブレイク・スルーを果たします。
この際、旧来のファンはバンドがメジャーになってゆくことに喜びと戸惑いを感じたのです。
メジャーになることへの戸惑いを打破する
かつてのエレファントカシマシの作品はオーティス・レディングのアルバムを聴くようなもの。
神聖さに感動しながらオーディオ・セットの前で正座して聴いた人も多いはずです。
しかし再デビューした「ココロに花を」以降のアルバムはもっと大衆向けでした。
宮本浩次自身が発表前のミックスをダビングしたMDを壁に投げ捨てたというエピソードがあります。
本人たち自身もメジャーになってゆくことに若干の迷いを経験していたのです。
しかし宮本浩次はその迷いや葛藤を乗り越えます。
その決意表明が楽曲「風に吹かれて」の真意です。
オレたちの本質は「普段と変わることのない風」だ。
今日までの日々とお別れして、いつもの風に身を任せて明日を変えてゆこう。
エレファントカシマシにとってこの曲の意義がいかに大事か感じていただけるかと存じます。