HIDEも、日本を代表するギタリストである高崎晃、そして日本最高峰のドラマーである樋口宗孝までもが感心せざるを得なかったというTAIJIのベーステクニック。
そしてその卓越したミュージックセンス。
そんなミュージシャンとしての強力な武器を備えていながら、なぜTAIJIはX JAPANを脱退してしまったのでしょうか。
公式コメントとしては”音楽性とファッションの違い”ということになっています。
まあこれは、言ってみれば離婚理由を”性格の不一致”とまとめてしまうのと同じようなもの。
バンドの解散理由やメンバーの脱退理由としてよく使用される、建前のお決まりフレーズといっても差支えないでしょう。
では、本当の脱退理由とは一体?
TAIJIは自伝の中で、”バンド内の収入格差に文句を言った、YOSHIKIのドラムに平気でダメ出しをするようになった”ことが脱退の原因になったかもしれないと述懐しています。
そのYOSHIKIはTAIJIの脱退について、こちらも自伝の中で”自分との誓いをTAIJIが簡単に破った”ことと語っています。
一致しませんが、あくまでも自伝の中です。どちらも、それぞれの主観で書かれているという前提を忘れないでください。
YOSHIKIとTAIJIはなぜぶつかった?
TAIJI脱退の理由を聞くとお互いの理由はかみ合わず、最後はきちんと話し合っていなかったのかも…、と感じさせます。
真実は本人たちにしかわかりませんが、音楽に真剣であり、共に才能を持った人間だからこそぶつかったのかもしれません。
TAIJIもYOSHIKIも、当時のX JAPANを更なる高みへと押し上げようとしていたのでしょう。
だからこそダメ出しをしたのであり、だからこそ誓いは大切なものだったのです。
YOSHIKIのいう”誓い”って?
それでも、YOSHIKIの言っている”誓い”とは何なのか、気になりますよね。
当時YOSHIKIは、バンドメンバーが外部のアーティストと一緒に何らかの活動することを極端に嫌がったといいます。
まだX JAPANに在籍していながらも、LOUDNESSのセッション(オーディションだった)にTAIJIが参加したことが許せなかったのではないか、という意見はよく聞かれます。
また、その他にはこんな一説もあります。
1991年にリリースされたアルバム『Jealousy』のレコーディングをロサンゼルスで行っていたが、その間にメンバーが麻薬を覚えてしまったらしいのです。
仕方なくロサンゼルスにいる間だけは大目に見ていたYOSHIKIですが、日本に帰る時にはスッパリと手を切ることが大前提、それを約束としていたのかもしれません。
ところがTAIJIだけはやめることができず、これがYOSHIKIの逆鱗に触れたという説があります。
真実はもういなくなってしまったTAIJIと、そしてYOSHIKI、もしくは当時のメンバーも知っているかもしれませんが、どれが本当だとあなたは思いますか?
なぜTAIJIはLOUDNESSのセッションに参加したのか
X JAPANに籍を置きながらも、どうしてTAIJIはLOUDNESSのセッションに参加したのでしょうか。
YOSHIKIが外部アーティストとの活動を嫌っていたことは、おそらくTAIJI自身も十分理解していたはずです。
しかし彼は音楽へ対する熱い思いが抑えきれなかったのでしょう。
LOUDNESSは当時から揺るがない実力をもつバンドで、誰もが憧れる存在でした。
TAIJIは純粋に音楽を突き詰めて来たからこそ、憧れのLOUDNESSのセッションに参加したのではないでしょうか。
TAIJI脱退の理由を探っていくと、どうやら様々な要因が絡み合った結果の脱退といえそうです。
小さな亀裂が次第に大きくなり、修正が出来なくなってしまったのでしょう。
とどのつまり、公式コメントの”音楽性とファッションの違い”と表現されたのかもしれません。
脱退後も波乱万丈に生きたTAIJI
LOUDNESSの脱退は仕方がないことだった
X JAPANを脱退後、LOUDNESSまで脱退したという歴史を聞くとTAIJIは個性が強すぎるのでは、と思う人がいるかもしれません。
しかしLOUDNESSの脱退に関しては「契約上の問題」だったようで、本人は継続を希望していたようです。
ちょうどこの時期、LOUDNESS内でもメンバーの解雇など様々な事柄が続き混沌とした時代でした。
もしも彼がX JAPANを脱退しなかったら…LOUDNESSを脱退していなかったら、と考えるとTAIJIを失ったことは音楽業界にとっても大きな喪失といえます。
自身のバンドDirty Trash Roadの解散理由
LOUDNESSを脱退後、TAIJIはDirty Trash Roadを立ち上げていますが、ここでも彼の不運は続きました。
D.T.Rのグッズや曲など、一円たりともメンバーには入らずに、(スタッフの)私腹を肥やすためへの人柱だった
出典: https://ja.wikipedia.org/wiki/D.T.R#%E8%A7%A3%E6%95%A3
TAIJIは有り余る音楽の才能を持ちながら、周囲によって追いつめられていったのです。
そんな彼が死の前年にX JAPANのツアーに復帰できたことは、ファンのみならず本人にとっても大きな意義のあることだったに違いありません。
TAIJIの人生はまさに天国と地獄を行き来するような、ロックな生き方といえます。