この「それでもやっぱり」の部分、急に高音になるのですが、ここではザ・モップス盤の鈴木ヒロミツも、吉田拓郎も声が裏返ってしまってます。
オリジナルの歌手でも声が裏返っている。
ということは、カラオケで歌うとき、私たちの声が裏返っても全然恥ずかしくないわけです。
最近の曲だと、back numberの「高嶺の花子さん」のサビなんかがそう。
偶然と夏の魔法とやらの力で 僕のものに
なるわけないか
出典: 高嶺の花子さん/作詞:清水依与吏 作曲:清水依与吏
この「~とやらの力で」でボーカルの清水依与吏の声がひっくり返りますよね。
あれでいいのです。余談ですが……。
人生を旅に見立てた、歌詞の意味
旅の休息ポイントにいつも降る、どしゃ降りの雨
ツーコーラスめでは、たどってきた人生をもっと深く振り返っています。
いつかはどこかへ 落ちつこうと
心の置き場を 探すだけ
たどりついたら いつも雨ふり
そんなことの くり返し
出典: たどり着いたらいつも雨ふり/作詞:吉田拓郎 作曲:吉田拓郎
世の中に反抗し、または世の中に流されて生きてきたが、いつかは安住の場所に落ち着くことを願っていた。
それなのに、安住の地と思った場所はどしゃ降りの雨が降っているようなところで、ちっとも落ち着ける所ではなかった。
だからまた落ち着ける場所を探しに旅に出る。
今までそんなことを繰り返してきた、という自分の半生を振り返る歌詞。
この歌詞には誰でも共感できますね。
これに続くサビは、同じ内容をダメ押しするような歌詞です。
やっとこれで オイラの旅も
終わったのかと 思ったら
いつものことでは あるけれど
あゝ ここもやっぱり どしゃぶりさ
出典: たどり着いたらいつも雨ふり/作詞:吉田拓郎 作曲:吉田拓郎
ようやく安住の地を見つけたと思ったら、そこもやっぱりどしゃ降りだった。
どしゃ降り続きは、悪夢続きということ。誰だってイヤになるに決まってる。
でも、なにやら皮肉めいていて、笑ってしまうような展開。
そんなバッドラックな人生の旅を、うんざりしながら、歌の男は苦笑しながら受け入れています。
この歌にある力強さは、そうした一見投げやりに見えながらも自分自身を失わずに持っている、というド根性、そのフィーリングです。
表面的には「このけだるさは何だ」と怒ったり、「あゝ ここもやっぱり どしゃぶりさ」と嘆いています。
けれども、その中に「自分の人生だから仕方のないことなんだ」とポジティブにみている面があります。
開き直りの美学、とでも呼べるような。
青春の折り返し地点から自分を見つめる
そしてスリーコーラス。
ワンコーラスやツーコーラスのようなメロディの起伏がなく、ただ怒声を発しているようなスリーコーラス。
でも歌詞を読むと、開き直った自分を客観的に見ている事が分かります。
心の中に 傘をさして
はだしで歩いてる 自分が見える
出典: たどり着いたらいつも雨ふり/作詞:吉田拓郎 作曲:吉田拓郎
とか
それほどオイラの 頭の中は
カラッポに なっちまってる
出典: たどり着いたらいつも雨ふり/作詞:吉田拓郎 作曲:吉田拓郎
これらはかなりシビアで正確な自己分析。
世間や他人に悪態をついてきて、自由気ままに生きてきたけれど、そうしたやんちゃな自分をちゃんと見据えてもいます。
ということは、歌の男は今や青春時代も中頃から終わりにさしかかっていることに気付いているのです。
もはや青年とは呼べません。
人は青年と呼べなくなった時、それまで歩んできた人生を振り返るものです。
でも、これから将来に向けてアレをやりたい、コレをしたい、といったテーマは浮かんでこない。
だから新しいことをやる前に、疲れた心と体を横たえ、自分を見つめて、またガツンとやってやるぞ、というような次のステージへの気構え。
次の祭りのための準備をしてるんだ、オレは・・・そんな意欲が曲から感じられます。