1972年は激動の年
アルバム「元気です。」大ヒット
1972年の日本は激動の年でした。
札幌・冬季オリンピック、沖縄返還、連合赤軍事件、日本赤軍のテロ事件、日中国交正常化etc.
フォークのアルバムとしては異例の大ヒットでした。
オリコン・アルバム・チャート通算15週連続1位を獲得。
時代を画する名盤の誕生です。
「祭りのあと」は1972年を象徴する曲
「祭りのあと」はアルバム「元気です。」に収録された吉田拓郎の代表曲。
時代の影が色濃く影響した曲ながら、岡本おさみによる詩的な感性が多くの人々の心を捉えました。
「祭りのあと」とは激動の1972年そのものを表わすテーマといってもよいくらいです。
時代と歌詞がリンクしあうそのさまを読み解いてみましょう。
「祭りのあと」の”祭り”とは?
「闘争の時代」の終焉
「祭りのあと」の”祭り”とは1970年安保闘争、全共闘、学園闘争などを指すといわれています。
歌が発表された1972年は連合赤軍によるあさま山荘事件、山岳ベース事件があった年です。
1970年安保闘争の敗北に次いで日本の学生運動や大衆運動に壊滅的な打撃を与えました。
学生や大衆は闘争の時代の終わりをつぶさに感じとったのです。
仲間をリンチしてまで叫ばれた革命の理想への疑義。
大義を失った革命運動。
同時に並行していた経済の好調な波にも飲まれて「闘争の時代」、つまり“祭り”が終わりました。
全共闘は「政治の演劇化」
熱い想いで闘った日々にも漂う虚しさ
祭りのあとの淋しさが
いやでもやってくるのなら
祭りのあとの淋しさは
たとえば女でまぎらわし
もう帰ろう、もう帰ってしまおう
寝静まった街を抜けて
出典: 祭りのあと/作詞:岡本おさみ 作曲:吉田拓郎
「祭りのあと」の1番の歌詞です。
“祭り”が学生運動のことであり、その終焉が歌われていると想うと非常に感慨深い歌詞。
「全共闘は政治の演劇化」と芥正彦(東大全共闘・演出家)が語っています。
真摯な想いで闘争に参加しているつもりでも、どこか祭り騒ぎ固有の空虚な側面があったのでしょう。
いったい熱い想いで闘った日々はなんだったのだろう?
その虚しさやさびしさを女性との情愛でごまかし、やがてひとりの部屋へ帰ってしまおう。
哀しいやりきれない気持ちを切々と歌う吉田拓郎の歌唱が胸に沁みます。
日本の学生運動の歴史
日本の学生運動は大正時代からありましたが、戦後の運動の方が現代史にとってより重要でしょう。
1955年、日本共産党が第6回全国協議会で武装闘争を放棄し、穏健な議会主義路線へとシフト。
これに反発した一部の学生党員たちが離党し、地下での武装闘争の継続を訴えます。
「新左翼」「過激派」と呼ばれる運動の誕生です。
日本の学生運動といえばこの出来事が発端。
この辺りの経緯はさまざまな書籍で知ることができます。
芥川賞を受賞した小説「されどわれらが日々 柴田翔 文春文庫」などが手軽に読めるはずです。
他にも「憂鬱なる党派 高橋和巳 河出文庫」など、この時代を背景にした文学作品はまだまだあります。