「いち に さん」って何のこと
2015年5月27日発表、星野源の通算8作目のシングル「SUN」。
このシングルのカップリング曲である「いち に さん」の歌詞について解説いたしましょう。
まずこの曲の成り立ちを説明しておきます。
星野源はこの曲のすべての楽器をひとりで演奏しているのです。
元々、マルチな才能にあふれたアーティストとして著名な星野源。
様々な楽器まで自在に操れるのですからそのマルチな才能は相当なものでしょう。
録音やミックスまで本人がこだわり抜いてやっています。
歌の方はタイトルの「いち に さん」の通り、ゆっくり数を唱えてゆくようなテンポ。
落ち着いた星野源の歌唱にどこかホッとさせられます。
ただ歌っている内容は本人の解説がないと分からないようにできているのです。
この記事ではもちろん本人の解説もご紹介いたしますが、もっと独自な解釈もしていきましょう。
童心に帰って思い出される風景などをシェアしたく思います。
果たして「いち に さん」の核心はどこにあるのでしょうか。
カップリング曲とはいえ侮れない個性を持ったこの曲の解釈に挑戦いたします。
それでは実際の歌詞をご覧いただきましょう。
実はしゃっくりの歌
ジャジーなポップソング
忘れた頃に 喉の下が笑う
子供のころ思い出す
出典: いち に さん/作詞:星野源 作曲:星野源
歌い出しの歌詞になります。
ジャジーな感覚もあるポップソング。
どこか寂寥感のようなものも感じます。
これは星野源ひとりの演奏によるものだからでしょう。
バックバンドを盛大に引き連れてゴージャスなポップスを奏でている訳ではないのです。
ただこの寂しさを感じるからこそ子どもの頃の記憶を呼び起こす力があります。
ノスタルジーに浸っている時間に感じる寂寥感。
もう戻れない日々を思い返すと豊かな想い出とともにもう帰れない日々を偲んで哀しくもなるのです。
これはすべてが星野源の狙いであるのでしょうから彼の才能に戦慄します。
苦労して工夫して伝えたいことは何でしょうか。
歌詞の方は大変に謎めいています。
星野源とユーモアのセンス
とにかく最初の一行の解釈が難しいでしょう。
喉がどうしたというのか星野源の解説を知らないと意味不明に感じるはずです。
喉が荒れてイガイガしているのかもしれません。
腹の底から笑いがこみ上げたのかもしれないです。
解釈はいくらでも可能なはずですが、星野源は解説で具体的な回答をくれます。
「これはしゃっくりについての歌」
星野源という人はしゃっくりのためにまるまる1曲を捧げてしまうのです。
彼のこうしたユーモアのセンスがリスナーを楽しませます。
元々、シングルの「SUN」自体がバナナマンの日村勇紀のために捧げた作品がベースになっているのです。
星野源という人は笑いとの親和性が高いアーティストであることはファンでなくても知っています。
「いち に さん」はしゃっくりについての歌という設定自体が面白いです。
しかし「いち に さん」を実際に聴いてお腹が痛くなるほど笑う人はいません。
むしろ自分の記憶を回想して様々に感情を刺激されます。
その感情はどこかうすら寂しいものでしょう。
しゃっくりというものは傍から見ると笑えますが、本人は必死で苦しい思いをします。
特に子どもの頃にしゃっくりになると、この事態をどう鎮めたらいいのか絶望的な気持ちになったはず。
星野源はあの自分だけが必死になっていることの哀しさを寂寥感あるサウンドで表現します。
ともかく語り手は大人になってからもしゃっくりを繰り返すのです。
そして子どもの頃の記憶が甦ってきました。
ああ、子どもの頃はしゃっくりになる度に気が動転していたなと振り返るのです。
とても温かい追憶
名前は思い出せない友人
忘れた貴方 こうだと横で見せた
あの日のこと思い出す
出典: いち に さん/作詞:星野源 作曲:星野源
語り手は子どもの頃を思い出しています。
誰かはもう忘れてしまった友人が教えてくれるのです。
「しゃっくりはこうやると止まるよ」
記憶のメカニズムは本当に不思議です。
相手の名前は思い出せないけれどもそのときに彼・彼女が見せてくれたことは覚えています。
語り手の脳みそのどこかには相手の名前がいまも刻まれているはずです。
しかしいまは思い出すことができないのでしょう。
しゃっくりは相手と遊んでいるときに起きたのかもしれません。
その点を考えるとこの相手は確実に友人だと推測されます。
友人の名前をどうしても思い出せないというのは結構な不義理です。
しかも相手の方は成長した友人が星野源というアーティストになったことを喜んでいるかもしれません。
ただこの曲の歌詞の中に中村くんがあるいは佐藤さんがと書かれていたら興醒めでしょう。
星野源は相手のことを名前も含めて覚えているのではないかと少し疑惑を抱かせます。
忘れたことにして遠い子どもの頃の出来事であることを強調したかったのではないか。
そのように深く読むこともできるはずです。
しゃっくりの止め方を実演
ともかく遊んでいた相手はしゃっくりが始まって困っている語り手に教えてくれます。
しゃっくりの止め方はこうだよと実演してくれるのです。
その日のことをいま思い返す語り手。
遠い日に思いを寄せていま心に甦る友人の仕草。
こうした懐かしい思い出がふと甦ると自分も歳を重ねたなと思わされます。
記憶というものをたどるだけであの日の光景がまざまざと頭の中に甦るのです。
しかし私たちはあの遠い日に実際に帰ることは叶いません。
記憶や追憶というものだけが温かな愛に包まれて守られていた時代を呼び起こします。
いまいる場所では子どもの頃のようには庇護されていません。
その分、一人前の大人としての自由が許されているのです。
しかしその自由とはいっても相応の責任を伴うものでしょう。
子どもの頃は免罪されるようなことにも責任を負わなくてはいけなくなります。
昔日の記憶が甦ると広大な遊び場の光景を思い出して楽しかったと思い出す。
そのとき私たちは温かな心持ちになるでしょう。
一方で現在、目の前に広がっている現実とのギャップに寂寥感を覚えるのです。
さて、この友人はしゃっくりを止める手段としてどんな仕草をしたのでしょうか。
先を見ていきましょう。