血中の二酸化炭素濃度
いち に さん
頷く
し ご ろく
まで
しち はち きゅう
俯きながら
風をのんだ
出典: いち に さん/作詞:星野源 作曲:星野源
いまは誰だか思い出せないかつての友人がこうするんだよと見せてくれた仕草です。
星野源はこの仕草を鮮明に思い出して歌にします。
相手が誰かは分からないという設定以外は細かい点まで思い出せているのです。
同時にタイトル回収をしているのが見事でしょう。
ゆっくり数をカウントして1から9まで数える間だけ息を止めてみます。
これはまったくの民間療法です。
しかしその他の民間療法とは違って研究者からも太鼓判を捺されています。
とはいえ大事なことは呼吸を止めることだけです。
頷いたり俯いたりするのは気分の問題でしょう。
この行為に何らかの儀式性をもたらしてくれるのですが、効果的にはまったく意味がないです。
呼吸を止めることで血中の二酸化炭素濃度を増加させることができます。
もしくは紙袋を口に当てて深呼吸することでも血中の二酸化炭素濃度を増やせます。
9まで数えたところでホッと一息ついて風を飲み込むというラインが詩的でしょう。
大切なことはあくまでも詩的であることです。
しゃっくりの止め方を紹介したかった訳ではないのでしょう。
数をゆっくりカウントする間合いにリスナーは子どものゆっくりとした呼吸を思い出します。
笑ったり話したりしながら
しゃっくりの原因は色々あるようで、まだ未解明な点もあります。
原因は複合的な場合もあるようです。
ただ一般的に笑うときや話すときに体調の変化が重なると起きることが多いでしょう。
語り手は友人と遊んでいるときに笑ったり話したりしていたのかもしれません。
元々の体調のコンディションとこの状態が重なって偶発的にしゃっくりが始まります。
ということは友人との遊んでいる時間が相当に楽しかったことが推察されるのです。
語り手の楽しい思いはしゃっくりによって途端にパニックに変わったのでしょう。
しかし友人の方は楽しい気分を引き摺ったまま優しげにアドバイスしているのです。
この幼い時代の和やかな雰囲気こそが星野源が伝えたかったものでしょう。
語り手に落ち着いてこうしてご覧という友人の気遣いや優しさが美しい記憶として残っているのです。
ああ、子どもの頃はよかったなという気持ちをリスナーも抱かされるでしょう。
星野源は「いち に さん」は「しゃっくりの歌」といいます。
しかしメインテーマはむしろ幼少の頃の友情を追憶することではないでしょうか。
しゃっくりの方がメインテーマだったならばこれほど寂寥感を覚えさせるサウンドにはしなかったはずです。
追憶という仕草
いつも誰かが傍にいる
水を頼んだ 氷をよけて飲んで
子供のころ思い出す
忘れた貴方 こうだと横で見せた
あの日のこと思い出す
出典: いち に さん/作詞:星野源 作曲:星野源
成人した語り手もしゃっくりをします。
大人になってからのしゃっくりにはアルコールの摂取が原因となることがあるのです。
お酒の席で笑ったり話したりしてしゃっくりが始まった経験は皆さんもあるでしょう。
居酒屋なのかバーなのか語り手はとりあえず水を注文します。
水を飲むことで神経を刺激してしゃっくりを止めることもできるのです。
この知識はどこで身に付けたのでしょうか。
おそらくかつての友人が教えてくれたものではなさそうです。
私たちはこうした民間療法を自分の経験に頼って様々に生み出します。
何も神経を刺激すれば止まるはずとか血中の二酸化炭素濃度を上げなきゃと思ってやる訳ではないです。
何となく正解にたどりついてしまうのですから人間の勘も馬鹿にはできません。
成長した語り手は飲食店でしゃっくりが始まったのですから誰かと一緒にいた可能性があります。
そのためにかつての友人の存在を思い出したのかもしれません。
あの日も誰かが傍にいてくれたなという思いが胸に去来するのでしょう。
記憶が呼び起こされた後に
「いち に さん」は短い曲でなおかつ歌詞の情報量が少ないです。
星野源は楽曲の持つ寂寥感を際立たせるために歌詞も削ぎ落とします。
さらにリフレインを含むので解説者泣かせです。
星野源は小曲を創りたかったのでしょう。
どこまでもひとりで演奏・録音作業をしているのもこうした思惑の現れです。
できるだけ小さなスケールで届けたいという思いがあったのかもしれません。
追憶という仕草で巨編小説を書いたのはプルーストです。
齧ったマドレーヌの味から膨大な記憶が甦ることを「失われた時を求めて」に結晶させます。
星野源はしゃっくりから追憶を始めました。
その記録をどこまでも必要最小限に削ぎ落とした分量の内容で表現します。
星野源というアーティストの作家性のようなものをここに見ることができるのです。
飲食店でしゃっくりをした語り手はかつての友人を追想します。
名前は忘れたけれどみたいな前置きをするのですが鮮明な想い出のようです。
友人が教えてくれた仕草が忘れられません。
さあ、クライマックスに向かってゆきます。
「いち に さん」の可能性
しゃっくりは止まったのか
いち に さん
頷く
し ご ろく
まで
しち はち きゅう
俯きながら
泡をかんだ
いち に さん
頷く
し ご ろく
まで
しち はち きゅう
俯きながら
風をのんだ
出典: いち に さん/作詞:星野源 作曲:星野源
いよいよクライマックスですが手に汗握るようなカタルシスを感じることはありません。
むしろどこまでも淡々と子どもの頃の記憶を振り返るのです。
しゃっくりの止め方くらいは分かります。
しかし「いち に さん」という曲には大きなメッセージというものはないのです。
ナンセンスなのかもしれませんがそこが星野源という人と作品の味でしょう。
1から9までカウントして息を止める。
その後に実際にしゃっくりが止まったかどうかさえ書いていません。
つまりしゃっくりが止まってよかったという希望ある未来を描いた訳でもないのです。
ここには希望というものはあまり関係しません。
しかししゃっくりが始まってしまったときの絶望する気持ちはあるかもしれないです。
とはいえ所詮しゃっくりじゃないかという方もいらっしゃるでしょう。
しかししゃっくりの中には悪性のものもあるのです。
難治性のしゃっくりではその場で何とかできることは少ないでしょう。
息を止めたり水を飲んだりという民間療法では対処できない怖ろしいしゃっくりもあります。
2日もしゃっくりが止まらないような状況の場合は病院にいって適切な治療をしてもらってください。
脳腫瘍や脳卒中で始まるしゃっくりもあるのです。
生命に関わるしゃっくりもあって長閑な楽曲の題材では済まないものがしゃっくりです。
しかしリスナーが得たいものはしゃっくりに関する知識ではありません。
しゃっくりでさえ詩へと昇華できる星野源の何ともいえないペーソスのようなものが愛されます。
リスナーがこの曲に惹かれる理由は少年の日の追憶と上質のユーモアでしょう。