心に沁みる「ゆめくいしょうじょ」の歌詞を紐解く。

「ゆめくいしょうじょ」はゆったりとしたバラード調で、ピアノの音色が特徴的な静かなやさしい雰囲気の曲に仕上がっています。 言葉の一つ一つが沁み渡ってくるようなこの歌詞を、どのように紐解くか何度も楽曲をききました。

人が恋する意味を考える

人は、本来一つのものが、二つに別れて再び一つになることを「愛」と呼んだのだと思います。 母と子は、母のお腹の中で育ちます。本来、一つのものであった親子が、出産によって二つに分かれます。

いろいろな体験を経て、自分勝手に生きて親不孝したりしても、最後は、「お母さん!」「ママ!」の懐に戻ります。 人のほとんどは、世界一好きな人は、お母さんを選びます。 お母さんと「本来一つ」であったことを知っているゆえんであろうと思います。 

結婚する人を、「魂の半身」と言います。人は、お互いに、「半身を求めて生きる旅」に例えられるのかもしれません。

谷村新司が作った「いい日旅立ち」という歌の一節に「ああ、日本のどこかに、私を待ってる人がいる」は、愛への呼びかけかも知れません。 

人が、恋する心とは、「自分の半身」を探す愛の出発なのかも知れません。「自分の半身」を得て、魂が一つに完成するための第一歩が「恋」の意味だと思います。

一つになったとき、恋が「やすらぎ」という「愛」に変わっていくのだと思えます。

「ゆめくいしょうじょ」の歌詞を考える

青年は、自分のいのちと引き換えに、母親と死別して、父親に育ててもらえず、施設に入れられます。

年齢制限を理由に施設を出され、社会に出た青年が、社会に対応力もなく、様々な苦難といじめに苛(さいな)まされ行く場を失って、相談のため、施設の先生を訪ねます。 

その、施設で、大きくなった「しょうじょ」と再会します。施設に居たとき、さみしくなるといつも「おにいちゃん」と言って私の元に来てました。子供だった青年は、一緒に泣くしかありませんでした。

再会したとき、一瞬青年は大きくなった「しょうじょ」を誰だかわかりませんでした。 

青年に気付いたのは「しょうじょ」でした。「お兄ちゃん」と言って、泣きながら抱きついてきたのです。 誰にも愛されたことのない青年は、体験したことのない喜びを感じました。

「しょうじょ」も年齢制限で、施設を出て、「寮付きの職場」で働くというのです。

先生は、“毎日君の話を、「しょうじょ」はしていたよ。絶対会えると信じ続けていたよ。よかったなぁ。”と言ってくれました。

やがて、時を重ね、「真実の愛」の気づきの歌詞として紐解いてみることにしました。

歌詞を「青年」と「しょうじょ」の歌に分けて、解釈してゆくことにしました。

①「星」:しょうじょ

「ブーゲンビリアの花が咲いた
 給水塔の上で
 迷い星を探している
 皺枯れの空まで

出典: https://twitter.com/h8u6tcRq4XyPfn9/status/716961330096246784

私の心の中には、「ブーゲンビリア」の花が咲き続けています。 ブーゲンビリアの花言葉を知っていますか?『あなたしか見えない』『あなたは魅力に満ちている』『情熱』ですって。 私は、寂しがり屋だったお兄ちゃんへの思いを持ち続けています。

私は、きっとお兄ちゃんに会うまで、「私の星」を探し続けます。あの皺枯れの空の果てまで探します。

② 「孤独」 :青年

居場所が無い
絵本も無い
コウノトリは
赤ん坊を連れ去り消えた

出典: https://twitter.com/h8u6tcRq4XyPfn9/status/716961330096246784

施設を出て、俺の居場所はどこにもありませんでした。

人との会話に疲れ果てました。些細のことで、怒鳴られ、「お前は馬鹿か!」「のろま!」ありとあらゆる罵声の言葉に自信喪失しました。

何か言えば、「文句言ってんのか!」「意味、分かんねえし!」仕事もきちんと教えてもらえず、へまばかりしました。仕事も転々とし、いつも孤独でした。

世間には、俺の居場所も心休める絵本もありません。 「子供は、コウノトリが運んできたのよ。」と聞きました。コウノトリは、「幸の鳥」という意味だそうですが、お母さんは、幸せを俺から取り去り消えました。 「お母さん!おかあさん!」泣きながら、叫んでも何の答えもありません。

③ 「いのち」:しょうじょ

君の悪い夢も
私が全部食べてあげる
痛いの痛いの飛んでいけ
安らかな歌声を

出典: https://twitter.com/h8u6tcRq4XyPfn9/status/716961330096246784