「うらみ・ます」と人の心
1980年4月5日発表、中島みゆきの通算7作目のアルバム「生きていてもいいですか」。
このアルバムのオープニング・チューン「うらみ・ます」をご紹介しましょう。
1980年という新しい時代の幕開けの年にも関わらず、中島みゆきはあくまでもダークに迫りました。
この曲「うらみ・ます」での中島みゆきの嗚咽混じりの歌に戦慄を覚えた人は数知れません。
もはや時代というものを軽々と超えて私たちに女性の情念の凄まじさを伝えてくれます。
男性に遊ばれた女性の独白による歌詞は怖ろしい迫力を持っているでしょう。
ただ、本当に怖ろしいものは人間というものの卑劣さではないか。
そんな根源的な問いかけを投げてくる歌詞になっています。
女性の怨念じみた思いばかりが取り上げられがちですが、中島みゆきの告発の本当の意味を探りましょう。
私たち人間の闇をこれでもかと見せつける楽曲です。
心してお付き合いください。
それでは実際の歌詞をご覧いただきましょう。
時代に抗いながら
「わかれうた」の極北の歌
うらみます うらみます
あたしやさしくなんかないもの
うらみます いいやつだと
思われなくていいもの
出典: うらみ・ます/作詞:中島みゆき 作曲:中島みゆき
歌い出しの歌詞です。
中島みゆきは冒頭から刺激的なタイトルを回収します。
登場人物は語り手のあたしと非道い男であるあんたです。
なぜあたしは人を呪うことになったのでしょうか。
そのドラマを追ってゆくと人間の醜さというものをまざまざと見せつけられるのです。
中島みゆきは自身でも「わかれうた」というものがトレードマークであると歌いました。
この「うらみ・ます」も広い意味で「わかれうた」と呼ぶべき楽曲でしょう。
さらにいえば「うらみ・ます」こそ「わかれうた」の極北に位置する歌です。
これ以上に寒々しい「わかれうた」は他に思い浮かびません。
1980年という時代は新しいディケイドの幕開けで浮足立っていました。
その後には空前のMANZAIブームが起こり、日本中が「ネアカ(根が明るい)」であることを求めます。
しかしこの年に中島みゆきが発表した「生きていてもいいですか」というアルバムは世相とは真逆の印象です。
「うらみ・ます」の他にも「エレーン」などあまりにも重すぎる楽曲が話題になりました。
時代と「泣く女」というモチーフ
中島みゆきが描いた「泣く女」というものは、いまではあまり尊重されなくなりました。
アメリカ合衆国でビヨンセなどのアーティストが「強い女」というものを描き出します。
「強い女」は男性との別れのために泣いたりはしません。
男のために涙を流す女というものを描くとバッシングされかねないほどにこの風潮は強固になります。
しかし1980年の日本ではまだ「泣く女」というモチーフは健在でした。
中島みゆきの私生活がどのようなものであるのかは無責任な噂以上の情報がありません。
そのため「うらみ・ます」が生まれた経緯というものを彼女の実人生に求めるのは気が引けます。
ただ、これほど迫力のある絶唱を聴くと、彼女の人生に何かしらのヒントがあると思ってしまうものです。
男女が別れる際に女性は涙を流すものという偏見はいいものではありません。
前時代的な発想ですのでいまではこうした構図で歌詞を書くアーティストはいないでしょう。
中島みゆき自身もこうした構図で男女の仲を描くことはもうないです。
いま「うらみ・ます」に聴くべきことはあたしの嗚咽の原因となった「悪」との対峙の仕方でしょう。
ここでの「悪」に対してはなりふり構わず怒りを示すことが大事なのです。
相手にどう思われようとも自分とすべての女性を「悪」から守らないといけません。
「悪」と向かい合う
加害者と被害者を分けること
泣いてるのはあたし一人
あんたになんか泣かせない
ふられたての女くらい
だましやすいものはないんだってね
あんた誰と賭けていたの
あたしの心はいくらだったの
出典: うらみ・ます/作詞:中島みゆき 作曲:中島みゆき
怖ろしい「悪」が姿を見せます。
あたしが「泣く女」に固執するのも無理はないような非道い悪巧みが行われていました。
まずあたしはここで泣くのは自分の特権であることを示します。
あんたはこの件で泣く権利というものがそもそもないのだと訴えるのです。
すぐに明らかになるドラマを知ると仕方のないことだと思えるでしょう。
あたしがここで泣く権利は誰にあるかという問題にこだわる気持ちはよく理解できます。
それは「悪」というものによって傷付けられたのは誰かということです。
中島みゆきはあたしこそが「悪」による被害者だと描きます。
そしてあんたはあくまでも加害者であることを認識しろと恨みを込めて歌い上げるのです。
人の心を弄ぶものを赦さない
あたしが男女関係で嫌な目にあったのはこれが初めてではないようです。
以前も他の男性に捨てられた過去があることを打ち明けます。
しかしそのときの別れというものに「悪」と呼ぶべきものは介在しません。
中島みゆきのその他の「わかれうた」というものにしてもこうした「悪」は描かれませんでした。
「わかれうた(楽曲名)」「化粧」「タクシードライバー」など同時期の作品ではただフラれた女という設定。
しかしこの「うらみ・ます」はフラれたという過去も描きますが、明らかにひと味違います。
あんたは別れたての女性を落とせるかどうかで友人と賭け事のタネにしていたのです。
こんな男は確かに地獄へ落ちるべきでしょう。
弱っている女性の心の隙間に忍び寄って、相手を騙すことで享楽を得る。
しかもそれを友人との賭け事のタネにまでするのですから恨まれて当然でしょう。
この社会ではこうした「悪」をしでかしたとしても逮捕されたり立件されたりはしません。
この「悪」は法の裁きを免れるのです。
しかしこうした「悪」というものを厳しくジャッジしてやるという野心が中島みゆきにはあります。
人の心につけ込んで、金銭のやり取りをすること。
中島みゆきはこのケースを赦しはせずにあんたを指弾するのです。
「うらみ・ます」は女性の怨念にばかり焦点が当てられがちでしょう。
ただ、中島みゆきが描きたかったものは、こうして女性の心を弄ぶことの罪深さではないでしょうか。