「End roll」のクレジットは
1999年8月11日発表、浜崎あゆみの通算10作目のシングル「A」。
このシングル集には表題作がなく4曲も収録されていました。
CDがたくさん売れた時代背景もあるのでしょうが自身最大のヒットシングルになります。
その中の「End roll」という楽曲について徹底解説いたしましょう。
悲しいお別れについて歌ったバラード曲です。
ここで描かれた別れの姿は大人の愛によるもの。
お互いに詰り合ったりせずにそれぞれのこれからについて希望を持たせながら歌います。
人生のよき理解者であっただろうふたりが別れを決めたこと。
そこには別れ際の醜い男女の諍いはありません。
浜崎あゆみが描きたかった大人の愛と別れの姿には美学のようなものさえ感じます。
彼女の恋愛哲学を浮き彫りにするようにこの曲の歌詞を紐解いてみましょう。
美しいお別れの姿から人生について学べることも多いはずです。
それでは実際の歌詞をご覧ください。
楽しかったのは過去
別れの気配が忍び寄る
もう戻れないよ
どんなに懐かしく想っても
あの頃確かに楽しかったけど
それは今じゃない
出典: End roll/作詞:ayumi hamasaki 作曲:D・A・I
歌い出しの歌詞になります。
登場人物は語り手の女性である私とその男性パートナーだった君です。
ふたりの付き合いには若いなりに歴史のようなものがあったことがうかがえるでしょう。
しかしふたりにとって楽しかった日々はもう戻ってきません。
時間を逆回転させることはできないのでしょう。
どこかですれ違ってしまいふたりの軌道はもう交わらないのです。
若いのですから同じ夢を見ていた時代もあったでしょう。
見据えていた未来も同じ道筋にあったはずなのですが、別れの気配は静かに忍び寄ります。
運命がふたりを知らぬ間に引き裂いていて、楽しめていたことがつまらなく感じてしまう。
長年付き合っているカップルの倦怠期のようなものが致命的なヒビをふたりの関係に与えます。
もう同じ未来を描けない
不思議に感じるのはこのラインの語り手は私でも君でもどちらでも構わないということです。
お互いに限界を感じ始めてしまったという解釈のもとでしたらふたりとも同じ印象を抱いていたでしょう。
懐かしくも楽しい日々は過去に確かにあった。
しかしその想い出を根拠にしてこれからも愛を紡いでゆくという未来の姿を描けないのです。
何か大きな出来事があったような雰囲気はありません。
ただ、あれほどに愛しかったパートナーとの関係がときの侵食によって疲弊してしまったのです。
もう疲れたかなという思いは長年付き合ったカップルにいつかは訪れるものかもしれません。
過去に楽しめたことも今では色褪せて感じること。
若い青春期から大人の階段を昇ってゆく際に決定的にふたりの道がすれ違ってしまいました。
ここでふたりは静かに別れを決意します。
大人になったふたりがそれぞれの自由意志で決めたことに周囲は口を挟めないでしょう。
ふたりの季節はもう終わりなのです。
別れに漂う諦念
過去の終わらせ方を後悔して
思い出している いつも不器用な
幕の引き方をしてきたこと
君はどこにいるの
君はどこへ行ったのか
遠い旅にでも出たんだね
一番大切な人と
出典: End roll/作詞:ayumi hamasaki 作曲:D・A・I
私は過去についてどこか後悔をしています。
ここでの幕引きとはもっと過去の恋愛の終わらせ方かもしれません。
私は過去の恋愛はいい別れ方をしなかったなと思い返しているのでしょう。
今回のお別れに関しては醜い姿を見せたくないと考え始めます。
パートナーを今更詰ってしまうようなことはしたくないのでしょう。
別れ際に相手と諍いを起こすことこそ醜い恋愛の仕方はないかもしれません。
すでに心変わりをしてしまったパートナーの心を詰ることで呼び戻すことなどできないはずです。
なぜ別れ際に相手を詰りたいのか。
それは自分の中の憤りや小さなプライドに固着してしまったエゴをぶつける先がないからです。
パートナーが不貞など明らかに不法行為を起こしたときの怒りは人間にとって根源的なものでしょう。
そうした際には法に問える範囲でのことはきちんとした方がいいです。
それでもパートナーにすがるような真似をしてしまったらそうした努力も台なしになってしまうはず。
私と君には第三者の影がちらつくのですが、ここで感情的になって別れ際に取り乱したくない。
私は今回の別れに関してはもう諦念を覚えているようで恥ずかしい真似をしたくないのです。
過去の二の舞は避けたいと願っています。
定住者と流浪の民
今、私は君の居場所さえも知りません。
もうお互いの軌道が交わることはなく引力で惹かれ合うこともないです。
頭の片隅で今頃どの辺にいるのかくらいの気遣いはします。
しかし今の君を支えているのはもはや私ではないのです。
この第三者がいつふたりの世界に登場したのかは明示されていません。
付き合っている最中に君の前に現れたのかもしれないです。
もしくはふたりの関係が終わった後に君が選んだ人かもしれません。
それでも私はその事実にももう取り乱すことさえ失くなってしまいました。
君という旅行家は私の家には住み慣れなかった。
本質的に流浪することが骨になっている君は定住する家を求めはしなかったのです。
私は同じ場所で回想を続けます。
定住者と遊牧民。
根本的な性格の違いがふたりの運命を分けてしまったのでしょう。
君が今、大切な人と旅をしているのなら安全だけは祈ってあげよう。
しかし君が私の家のドアを叩くことはもうないのだから、執着することはないだろうと諦めてしまいます。
私がこの諦めた心境に至るまで様々な葛藤もあったのかもしれません。
しかし今更、そうしたモヤモヤした思いを吐露することはしないのです。
別れ際を醜く汚すような真似はもうしたくないと願っています。
君の未来に希望があれば私もそれが刺激になるだろうくらいの鷹揚な気持ちでいるのです。