今さら解説、さだまさし
グレープの頃から現在に至るまで、彼がメディアから姿を消したという事がないため、わざわざ彼を今さらながら解説するのも何なのですが・・・・・・。
氏素性(うじすじょう)
さだ まさしは芸名。本名を佐田 雅志(読みは芸名と同じ)、1952年4月10日生まれのシンガーソングライターで、タレント、映画監督、小説家と、マルチな才能で活動の場を広げています。
出典: https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%95%E3%81%A0%E3%81%BE%E3%81%95%E3%81%97
まさしの弟・繁理(しげさと)は、さだまさしの事務所であるさだ企画の社長。彼はかつて日本人初のプロサッカー選手でした。
妹の玲子(れいこ)はミュージシャンの佐田玲子です。まさしとデュエット曲を発表したこともあります。
息子の大陸(たいりく)はバイオリニストTAIRIKUで、TSUKEMENという3人組のクラッシック演奏を生で披露するバンドでライブを精力的にこなしています。
さらに娘の詠夢(えむ)はピアニストで2015年にゴスペラーズの北山陽一と結婚しています。彼が良性の脳腫瘍に罹患したというのも話題になりましたね。
こうしてみると、華麗なる芸能一族。素晴らしいの一言に尽きます。
デビューからこれまでの軌跡
メジャーデビューは1973年、フォークソンググループ・グレープ。
このときから数々のヒット曲を生み出し、1976年の解散後はソロとして活動しながら、アーティストへの楽曲提供、学校の校歌の作曲、など精力的に音楽活動を行っています。
さだと言えばトーク!
さだまさしのコンサートでは楽曲はもちろんのこと、それ以上に有名なのがトーク。テレビ・ラジオ・コンサートで繰り広げられる軽妙なトークは観客の心をそらしたことがありません。
さだまさしの熱心なファンの多くはそのトークに魅了されるのです。さだのファンによって構成される略称・さだ研とは、「さだまさし研究会」のこと。
これ、全国各地に散らばるファンの集まりで、楽曲はもちろん、そのトークを楽しみにする会のようで。それも不思議に納得できます。
マルチな才能
さだまさしはマルチタレントとしても有名です。特に映画への思い入れが強く、自身が撮影した映画『長江』では主演のみならず、音楽制作、監督もつとめる入れ込みようでした。
また、さだが書いた小説『精霊流し』や『解夏』はドラマ化や映画化されています。
ちなみに映画『長江』では大コケし、多額の負債を抱えることに!これを機に、楽曲作りやコンサート活動などを借金返済のためにこなし、今に至るのです。
『親父の一番長い日』とは?
『親父の一番長い日』は1978年の軽井沢音楽祭のために制作された楽曲。山本直純と3ヶ月間密かに打ち合わせを重ね「今までになかったものを作ろう」と制作されたものでした。
軽井沢音楽祭は新日本フィルが毎年夏に開催しているコンサートで、1978年(昭和53年)にさだまさしをゲストとして招いています。
当時、指揮の山本直純氏と打ち合わせて作ったのがこの楽曲、後に「山本直純一世一代の名編曲」とも評されたそうです。
とはいえ、そもそもなぜ’さだまさし’を?と思いませんか?
実はこのゲスト出演こそ、山本直純の企画。
この「軽井沢音楽祭」は指揮者・作曲家である山本直純が新日本フィル楽団の夏のボーナス捻出(ねんしゅつ)のために考えられたもので、そこには大看板が必要だったのでしょう。
この目論見は大いに当たったことは言うまでもありません・・・・・・。『親父の一番長い日』は、翌年の1979年に発売されます。
この時は歌舞伎座でのライブ録音を山本直純氏の指揮で演奏されたもの。LPサイズのシングルレコードとして、当時話題になりました。
また、「あなたが選ぶ さだまさし国民投票」の結果を元に選曲された、さだのデビュー40周年およびソロ・コンサート4000回達成記念アルバム『天晴』にも収録されています。