グレープ時代
「無縁坂」の詳細
現在シンガーソングライターである「さだまさし」は、もともとは「吉田正美」とフォークデュオ「グレープ」を結成していました。
わずか4年ほどの活動で「グレープ」は解散してしまいましたが、数多くのヒット曲を残しています。
その中の一曲、「無縁坂」の詳細をご覧ください。
1975年11月25日発売
6枚目のシングル
カップリング曲:「雲にらくがき」
出典: https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%84%A1%E7%B8%81%E5%9D%82_(%E6%9B%B2)
さだまさし「無縁坂」
人生をたとえたものとは
さだまさしは、皆さんがよくご存知のように、“感動する歌”や”クスッと笑えるような歌”、そして時には“涙がこぼれそうな歌”を見事に作詞・作曲していますよね。
また、最近はギターを弾きながら歌っている姿がほとんどですが、バイオリンの腕も大したもので、コンクールにも出場した経験があるといいます。
それから、コンサートに行った時のトークの面白さは天下一品でした。
そんな、さだまさしが作詞・作曲した「無縁坂」は、まだ幼かった子どもがお母さんに手を引いてもらって登った“坂”を、大人になって思い出し、お母さんの人生を“坂”にたとえて作った曲です。
「無縁坂」は本当にあるの?
「無縁坂」って、いかにも憂いを含んだ詞を書くために考えた名前のようですが、実際に「無縁坂」は存在する坂の名前です。
それも「東京都文京区の湯島」にあります。
湯島といえば、天神さん。天神さんといえば白梅。白梅といえば「湯島の白梅」という、昔流行った歌がありました。(ちょっと古かったかな?)。
それにしても、どうして「無縁坂」という名前で呼ばれるようになったのか、調べてみることにしました。
不忍池(しのばずのいけ)を背に本郷方面へ行くと200mほどの坂道がある。
かつて、ここにあったお寺の名前「無縁時」に由来して名付けられた。
出典: https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%84%A1%E7%B8%81%E5%9D%82
へぇ~、だから無縁坂の歌詞に“忍ぶ不忍無縁坂”とあったのですね。
では、その「無縁坂」を聴いてみたいと思います。
無縁坂
歌詞を考える
母がまだ若い頃 僕の手をひいて
この坂を登る度 いつもため息をついた
出典: 無縁坂/作詞:さだまさし 作曲:さだまさし
まだ若いお母さんが、幼い子ども(この歌詞の主人公の“僕”)の手を引いて坂を登っている情景が浮かびます。
しかし、この感じからでは、親子でキャッキャッと騒ぎながら坂を登っているのではないことがわかります。
これは、さだまさし自身の出来事を書いているのか、想像して作った歌詞であるのかはわかりませんでした。
ただ、さだまさしは、高校時代から小説を書くことにも興味があり、この歌い出しは小説の一節だともいわれています。
どちらにしても、この歌詞を書いた時点で、さだまさしの頭の中では“お母さんの人生を坂にたとえていた”ことに間違いありません。
ため息つけば それで済む
後ろだけは見ちゃだめと
笑ってた白い手は とてもやわらかだった
出典: 無縁坂/作詞:さだまさし 作曲:さだまさし
なんだ、お母さんは笑っている。急な坂を登ってしんどかったから「ふぅ~」とため息をついただけだったのか、それで済むんだ。
急な坂を登ったのだから、子どもが振り返って見たら怖がる。それで「後ろだけは見ちゃだめ」と言い聞かせたのか......。
とも受け取れる歌詞ではありますが、さだまさしがそんな単純な歌詞を書くはずがありません。
もう少し深読みしてみることにしました。
“後ろだけは見ちゃだめ”というのは、“過去を振り向いてはいけないのよ”と、自分の子どもにも自分にも言い聞かせているのかもしれません。
そう解釈することで、“坂”を人生にたとえていることと理屈が合ってきます。