かみ砕いて解釈してみると、このようになることが推察されます。
- 「何もない自分の心は、目の前の都会の姿をただ鏡のようにうつすだけだ」
- 「行き交う人々やビルの群れを淡々とうつすだけ」
- 「自分は鏡のように無機質に存在するだけで、感情なんてどこにもない」
- 「無感情・無感動・虚無な状態」
重要なキーワードになるのは「都会(まち)」「鏡」「うつすだけ」です。
ここで各フレーズが持つ印象を考えてみます。
言葉の真意から歌詞を読み解く
「都会(まち)」は見る者の心理状況によって捉え方が大きく変わる対象です。
夢を抱いて上京してきた者にとっての都会(まち)は希望や期待感に溢れています。
逆に夢に破れた者にとっては冷ややかな印象を与えるものでしょう。
「鏡」は無機質な物です。
映し出される姿は自分の心理状態そのものであったり、思い描く理想を映す場合もあるでしょう。
最後の「うつすだけ」に注目したいのが「だけ」です。
限定的な言葉にすることによって、映す以外の役割はないということを表現しています。
さてここで「都会(まち)」に戻ります。
心がが空っぽだと考えている人が都会を見てワクワクキラキラしているでしょうか。
夢を抱き、頑張る気持ちでいるでしょうか。
答えはNOです。
哀愁が呼び起こす人々の悩み
哀愁漂うコード進行からしても、歌詞の冒頭2行での主人公は無感動、無感情です。
都会をただ眺めているというシーンが表現されています。
この主人公には何があったのでしょうか。
それは歌詞の中では語られる事はありません。
そこがリスナーの共感を呼び起こす最大の秘訣なのかもしれませんね。
具体的な原因を書いてしまうと、そこを外れた人々はしらけてしまう。
そういった感情のフォーカスの暈かし具合の絶妙さが宮本浩次さんの歌詞にはあるのです。
根源的な悩みを衝動的に掻き立てるバンド
エレファントカシマシはJ-POPのロックバンドの中でも異才を放っています。
それは70年代80年代のオルタナティヴ・ロックを基盤としているせいでもあります。
さらに普遍的で思想的な観点から音を奏でているからでしょう。
音としても個性が放たれる中でボーカルの宮本浩次さんの声には絶大な力があります。
エモーショナルなギターのように奏でられる歌声は、他に類を見ません。
そんな歌声を放つ宮本浩次さんは英語詞ではなく日本語歌詞を中心に描いています。
人間の根源的な悩みを文学的に日本語で表現するのは、彼らの特徴のひとつですね。
きっと日本のバンドであることに誇りがあるからではないでしょうか。
誰もが持ちえる悩みが、彼の歌声によって呼び起こされるのです。
そして自分を振り返るきっかけをリスナーに与えてくれるのでしょう。
つまり宮本浩次さんが書く歌詞の世界の主人公はリスナーそのものなのです。
虚無の「傍観者」からの脱却
あの頃の俺を見つけたときの喜び
鳥が影落として目指してく 雲が生まれくるあの場所まで
過ぎる日を都会を 今日もまた歩く
駅へと向かう道で 行き交う人の波
皆どこへ行くの 待ちぼうけ あの頃の俺がいる
出典: 明日への記憶/作詞:宮本浩次 作曲:宮本浩次
歌詞が進み行くにつれて、無感動な主人公は歩きながら流れゆく都会の景色を見つめます。
その姿はまるで傍観者です。
群衆を傍観している主人公は、突然その中に「過去の自分」を見つけ出します。
本当に過去の自分がいたのか、はたまた自分に似ている誰か別人がいたのかは曖昧です。
これはおそらく、過去の自分のような姿の人物が目に留まったのではないでしょうか。
自分とにている境遇なのか、背格好なのかはわかりませんが、似ていたのです。
ここからはあの頃の自分に何か言いたげな感情が伝わってくるようです。
現実の世界へ
得れは振り向いた夢の中?思い出のかけらひとつもなく
立ち尽くす俺が窓に映ってる
夢から夢つないできた旅の果ては
ああ 戻りくる いつもの俺
全てがココにあり
それ以上でも以下でもないのさ
明日への記憶刻んでは 再び 行くのさ!
出典: 明日への記憶/作詞:宮本浩次 作曲:宮本浩次
この1行目からは想像力を掻き立てられますね。
その面影を見つけて、主人公の意識は虚無の世界から現実へと戻ってきます。
しっかりと自分の現実と向かい合った主人公がここではっきりと浮かびがってきます。
そしてその主人公は「全てがココにある」とようやく気づくのです。