鬼束ちひろ「私とワルツを」
外見の変化がなかなか激しいながらも、常に美麗な鬼束ちひろさん。美麗な皮膚に覆われた精神は非常に繊細で、美術作品のようなどこまでも続く深みを感じさせます。
心の病?という噂もありますが、それだけきめ細やかな楽曲を書き歌うことができるということです。たしかに心配ではありますが、わたしたちリスナーは彼女の苦しみを楽曲中で静かに汲み取ることにしましょう。そしてたくさん聴いて応援しましょう。
今回は鬼束さんの「私をワルツを」という作品を視聴していただきます。
こちらの楽曲も、上述のとおり非常に繊細な仕上がり。感性がぴんと張った絹糸のようでいながらも、相手に自分のエゴを全く押し付けない、大いなる愛に包まれた曲といえるでしょう。
「私とワルツを」PVはこちら
それでは早速「私とワルツを」をご視聴ください。
月桂樹の冠に真っ先に目が行きますね。そしてむき出しの腕と裸足がオリンポスの女神のよう。しかしドレスは高貴なブルーのサテンで、さながら現代版・動くギリシャ美術とでもいいましょうか。
楽曲は、超シックなイントロから湖面を思わせる落ち着いた歌い出しへ。ふむ、ワルツといえば三拍子ですが、この曲は四拍子のようですね。
しかしじっと聴いているといきなりの高音にピクリとなり、そのまま静かな叫びに耳が集中します。そしてサビはまるで水量豊な川のように雄大で、ワルツの大きな動きのよう。
そして曲中盤で登場するお待ちかねの三拍子は、ラグジュアリー感たっぷりでぜひ目を閉じて聴き入っていただきたいところです。
鬼束ちひろさんのCDジャケットはアーティスティックなデザインのものが多く、楽曲もどこか古典美術やクラシックの要素を感じさせるものが目立ちます。この何と表現してもしきれない品格が鬼束ちひろさんの創作品の醍醐味といえるでしょう。
「私とワルツを」気になる歌詞は?
それでは「私とワルツを」の歌詞をじっくりご覧いただきましょう。
個人的にはやはり、美術作品を眺めるときに考えるような二項対立や矛盾などを、この楽曲でもいち解釈方法として加えてしまいますね。アート要素が強い!
静寂と無言
時計は動くのをやめ 奇妙な晩餐は静かに続く 何かを脱がすように
出典: https://twitter.com/onitsuka_bot/status/922631155081363457
時計が時を刻む音が止み、「奇妙な晩餐」が張り詰めた静寂の中で続きます。
この「奇妙な晩餐」というワードの解釈に苦労するのですが、おそらく「貴方」と何も喋らずにただ黙々と食事をする風景のことではないでしょうか。超ヘヴィです。中世やルネサンスを感じさせる「晩餐」というが言葉選びがまた良いですね。
静寂はノイズがない状態ですから、物事や空間そのものをありのままの姿に引き戻す効果があります。だから「何かを脱がすように」という表現になっているのではないでしょうか。
言葉や雑音、BGMなどで飾り立てられた状態より、何も音のしない空間のほうがより哲学的という概念は伝わるでしょうか?今流行りのミニマリストさんたちが極端に物が少ない空間に住み、自分の中身やスキルを磨くことに注力するイメージをしていただければよりわかりやすいですかね。
ノイズがない場所こそ本質のわかる場所です。
もうそろそろ口を閉じて 分かり合えてるかどうかの答えは 多分どこにも無い
それなら体を寄せ合うだけでも
出典: https://twitter.com/onitsuka_bot/status/679521848447479809
どんなに言葉を交わし合っても、二人の人間がお互いに分かり合っているという証明は不可能です。人間はロジックではありませんからね(エヴァンゲリオンのリツコさん風)。
だったらせめて二人の体をくっつけてぬくもりだけでも分かち合ってみよう、というおおらかすぎる素晴らしい愛のフレーズが続きます。
優しいものは怖い
優しいものはとても怖いから泣いてしまう
出典: https://twitter.com/music_for_NE1/status/921867150377099264
このフレーズと同じようなことを思ったことはありますでしょうか?筆者はあります。
静寂や無言なんかより、叱られなかったり穏便で無難な雑談をされたりするほうが心をえぐられることがあります。それだけよりリアルに相手の方との距離を感じてしまうとでもいいましょうか、寄りそうことや本音でぶつかり合うことを避けられると非常に寂しいと思うときがあります。
貴方は優しいから
誰にも傷がつかないようにと
ひとりでなんて踊らないで
出典: https://twitter.com/siteki_meigen/status/891438052282834945