草野正宗という人は分かりやすい言葉で解釈が難解な歌詞を書く人です。
その解釈をリスナーは懸命に行っています。
草野正宗自身はそのリスナーの解釈を大事にしたいために歌詞の意味を語ることを嫌うのです。
文学的素養の豊かな草野正宗ですから様々な暗示をそこかしこに配置するのでリスナーは気が抜けません。
この「夏の魔物」は流産した子どもだということでスピッツのファンの理解は大体一致しています。
スピッツのファンの皆さんの解釈に最初は驚きますが、この後のラインを読むと確信が芽生えるのです。
母体の生命も奪われた
「君」はもう追憶の中
大粒の雨すぐにあがるさ
長くのびた影がおぼれた頃
ぬれたクモの巣が光ってた 泣いてるみたいに
出典: 夏の魔物/作詞:草野正宗 作曲:草野正宗
流産ということを思うと不安に感じるのは母体が安全であったかどうかです。
しかしこのラインを読むとどうやら母体にも不幸が訪れたという解釈が成り立つように感じます。
梅雨か夏の夕立の描写があるのですがこれが何かのアクシデントの隠喩に思えてなりません。
すぐにこの雨はやむようですが次のラインで溺れているのは誰でしょうか。
今どき入水自殺は珍しくなりました。
しかし草野正宗の歌詞はこうした最悪の事態を思い起こすことを排斥しません。
流産で母体が危なったのか、母体が危なくなったから流産したのか。
不吉な予兆を知らせる蜘蛛までが泣いているように思えるということ。
子どもを生み育てることへの両親などからの反発を苦に「君」は自分の生と死を賭してしまったのでは?
リスナーの心に暗い空想が続きます。
いずれにせよこのラインは何かしらの悲劇が起きて涙を流すような事態に陥ったと解されるでしょう。
「君」のDNAが途絶える
堕胎を考えたこともあったけれど
殺してしまえばいいとも思ったけれど 君に似た
夏の魔物に会いたかった
出典: 夏の魔物/作詞:草野正宗 作曲:草野正宗
「僕」は一時、堕胎も考えたようです。
予期せずできてしまった子どもを産み育てるかどうかは深刻な問題。
特に若いふたりにとっては経済的な観点から育てるのが難しいと判断して堕胎に至るケースがあります。
冒頭の古いアパートでの暮らしを考えるとふたりには経済的な余裕はないでしょう。
1991年の楽曲ですからバブル経済の名残はないのかと若い人は思うかもしれません。
しかしバブル経済は不動産投資や株式投資で儲けた人からあぶれたお金をシェアしていた景気です。
当然にバブルの恩恵に預からない人々はたくさんいました。
また、いつの時代も若者の一部は貧困に喘いでいます。
「夏の魔物」に登場するふたりがそうでした。
彼らは様々な障壁を超えて子どもを生み育てる決意をします
「僕」も堕胎をやめて「君」のDNAを引き継いだ子どもの顔を見てみたいと意識が変わりました。
しかしその子は流産してしまいます。
今では「君」にも子どもにも会えません。
「夏の魔物」は残酷なくらい悲しく切ない曲です。
せめて子どもに会いたかった
復活の思いも虚しく
幼いだけの密かな 掟の上で君と見た
夏の魔物に会いたかった
僕の呪文も効かなかった
夏の魔物に会いたかった
出典: 夏の魔物/作詞:草野正宗 作曲:草野正宗
クライマックスの歌詞です。
堕胎を考えたこともあったけれども今ではせめて子どもに会いたかったという想いが打ち明けられます。
この強い想いから類推されるのはやはり「君」も「夏の魔物」とともに会えない存在になってしまったこと。
「君」の形見だからどうしても会いたくて仕方がないのです。
今では「僕」のどんな言葉も意味をなさなくなってしまいました。
「君」や「夏の魔物」との距離はそれほどに絶望的に遠いのです。
草野正宗の実体験であるのか訊いた話であるのか分かりません。
しかし実際にこのようなカップルはいそうです。
「君」の生命までも奪っていったから「夏の魔物」と名付けているのかもしれません。
しかしどのような経緯で「君」の生命が奪われたかは不明です。
出産することを周囲に反対されて自ら生命を絶ったのではないかという説もあります。
両親にとっては若いふたりが貧困の中で子どもを生み育てることを不安視するのは当然かもしれません。
一方で生命の胎動を素直に喜んでくれなかった近親に絶望して死を選んだという解釈は頷けなくもない。
草野正宗自身が答えを出してくれない中ではリスナーは想像を逞しくするしかないです。
いずれにせよあまりにもデリケートな問題ですから草野正宗に尋ねるのは酷な気がします。
「夏の魔物」
僅か3分11秒の短い曲です。
歌詞の内容は濃いですが分量は少ないもの。
私たちは深刻なことが歌われていることを理解しながら真相に近づくのにも気が進まない想いを抱えます。
今ではこの曲自体が「魔物」のような圧倒的な姿を私たちに魅せているのです。