YMO現象の象徴「ライディーン」
音楽シーン、サブ・カルチャーに深い爪痕を残す
YMO(イエロー・マジック・オーケストラ)は日本のみならず世界の音楽史に多大な影響を与えました。
デビューは1978年、「散開」と本人たちが呼んだ解散が1983年。
わずか5年の活動期間ですが、その影響力は絶大です。
もちろん何度か復活を遂げていますが、活動内容が濃かった時期は意外とわずか。
それでも音楽シーンのみならず、サブ・カルチャー全般に深い爪痕を残しています。
代表曲「テクノポリス」「ライディーン」は日本の一般的な音楽ファンにも衝撃をもって迎えられました。
「YMO現象」と呼ぶべき光景が日本を覆ったのです。
スマッシュ・ヒットとなる「ライディーン」
江戸時代を代表する巨漢の力士「雷電爲右エ門」にあやかった「ライディーン」はオリコンチャート15位。
インストゥルメンタルの楽曲があまり売れない日本では異例のヒットです。
その多大な影響力や制作秘話、そして浮世絵のイメージと坂本龍一が語る真意などを紐解いていきましょう。
高橋幸宏の鼻歌から生まれた?
「ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー」収録作
「ライディーン」は高橋幸宏による作曲です。
「テクノポリス」に次ぐYMOの2枚目のシングル曲。
アルバム「ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー」からシングルカットされたのが1980年6月21日。
アルバム「ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー」にはA面の3曲目に収録されています。
歌心があるインストゥルメンタル
「ライディーン」は高橋幸宏がバーで歌っていた鼻歌を、坂本龍一がその場で記譜しました。
どちらも天才的です。
YMOは高橋幸宏と坂本龍一がせっせと作曲を競います。
それをリーダーの細野晴臣がプロデューサーとしてまとめていくのがスタイルでした。
高橋幸宏は大半の曲のヴォーカルを担当します。
元々が歌心あふれるアーティストである高橋幸宏。
インストゥルメンタルの「ライディーン」もどこか歌心が聴こえます。
後年、この曲に歌詞をつけてカヴァーするアーティストも現れました。
坂本龍一のシンセサイザー演奏
「ライディーン」の魅力は太い音色のシンセサイザーが波のように押し寄せるサウンドにあります。
使われたシンセサイザーは「アープ・オデッセイ」という銘器です。
この頃にはすでにシンセサイザーのプログラミングによる自動演奏が可能でした。
それでも「ライディーン」は坂本龍一によるシンセサイザー演奏で録音されています。
坂本龍一自身の演奏だからこそのグルーヴ感が満載の楽曲です。
メンバー全員が天才
日本の音楽史の生き字引
細野晴臣のキャリアは日本のロック黎明期にまで遡れます。
エイプリル・フール、はっぴぃえんどなど伝説的なバンドでベースと作曲を手がけています。
高橋幸宏はサディスティック・ミカ・バンドでの活躍で有名なドラマーです。
コンピューターと同期しながらの正確なドラムは一級品。
「赤い人民服」でお馴染みのステージ衣装なども手がけている異才です。
坂本龍一は友部正人のレコーディングでデビュー、浅川マキなど意外な人の作品にも参加しています。
プロ・デビュー作でも友部正人のリズムが裏表ひっくり返るような歌にうまく対応しました。
「世界の坂本龍一」の名をほしいままにしている誰もが認める天才です。
YMOは細野晴臣の炬燵(こたつ)から生まれた?
YMOは細野晴臣の自宅にて3人で炬燵を囲みながら生まれたという有名なエピソードがあります。
マーティン・デニーの「ファイアークラッカー」をカヴァーして世界中でシングルを400万枚売る!
細野晴臣のそんな意気込みとコンセプトでYMOは誕生しました。
「炬燵の上にみかんがあった」
「3人でおにぎりを頬張った」
様々なヴァージョンで語られている、どこかほのぼのとするエピソードです。