「Black Bird」の歌詞にはびこる劣等感
劣等感は誰もが抱く感情です。
取り除くためには自己肯定感が必要であり、精神的に未熟であれば劣等感に押しつぶされることもあります。
「Black Bird」1番の歌詞では、羨望から生まれた劣等感を隠すため、とある方法がとられています。
その方法とは「嘘をつくこと」です。
自分が見えなくなっていく
小さな頃の 小さな願いは
誰のためにどんどん大きくなった
出典: Black Bird/作詞:aimerrhythm 作曲:飛内将大
子どもは幼稚園や保育園に入って集団生活を始めると、自分と他者を比べることを学びます。
比較した両者に対して小さな子どもがつける「優劣」は、正しいとは限らないでしょう。
優劣なんてない、あなたはあなただ、と教えたところでまだ理解できる年齢ではありません。
「あの子は自分よりかわいい」「あの子の家はうちよりお金持ち」
羨ましい、あんな風になりたい。自分のほうが劣っている。
優劣の「優」に憧れて自分もそうなりたいと願い、「劣等感」を知ります。
願いは誰のためのものかといえば、自分のためでしかありません。
しかもどんなに願ったって、願うだけでは叶いません。
Everyone never knows
重ね続けすぎた嘘に
No one finds me
分からなくなるよ Black Bird
出典: Black Bird/作詞:aimerrhythm 作曲:飛内将大
例えば、皆が欲しがるおもちゃを買ってもらったお友だちがいたら。
皆が「いいな」「羨ましい」「見せて!」と声をかけ、人気者になるかもしれません。
おもちゃを買ってもらったことも、皆に囲まれていることも羨ましく、妬ましく感じた時。
「私は別のおもちゃを買ってもらったんだから!」
劣等感を拭い去る手段として「嘘」を用いるようになってしまいます。
1度嘘をつくと、嘘を隠すために嘘を重ねていく。気づく人がいなければ、さらに重ねてしまう。
そしていつしか「本当の自分」を知る人がいなくなります。
自分自身も「本当の自分」を見失ってしまいます。
些細な願望と劣等感がきっかけで、自分が自分ではなくなってしまうのです。
そんな自分を「黒い鳥」と比喩します。
自分を捨てて他者になりたいという異常な願い
すぐに落ちていきそうだ
まるで一人のステージ
真っ暗闇で 声を枯らすよ I cry
出典: Black Bird/作詞:aimerrhythm 作曲:飛内将大
偽物の自分で生きるということは「演技」をし続けていることに他なりません。
嘘をつき続ける限り、常にステージに立たされています。
ステージに立つのは自分一人。しかも黒い劣等感が支配していて、自分以外の姿は見えません。
黒い舞台の中で黒い鳥が飛んでいても、黒が黒に溶け込んで誰も気づいてくれないでしょう。
「本当の自分」がいくら叫んでも声は届かず、しかし気づいて欲しくて叫び続けます。
きっと空の飛び方なんて
誰も教えてくれなかったよ
真っ逆さまに 海の底に I fall
出典: Black Bird/作詞:aimerrhythm 作曲:飛内将大
黒いステージから抜け出して、空へと飛び立つ方法を知っていればよかったのです。
劣等感を抱いたとき、どうすれば負の感情から解放されるのか。
映画「累-かさね-」で累の母は他界し、累は伯母に引き取られましたが疎まれるばかり。
累が劣等感に悩み苦しんでいても、愛情を持って道を示してくれた人は一人もいませんでした。
黒い鳥である累は、ステージから飛び立つ方法が分かりません。
暗闇で方向感覚も奪われ、海へと落ちていきます。海の底、またしても暗闇です。
愛されるような誰かになりたかっただけ
出典: Black Bird/作詞:aimerrhythm 作曲:飛内将大
サビの最後のフレーズに、強い違和感を覚えました。
空の飛び方を教えてくれる人が欲しかったなら「誰かに愛されたかった」と歌うはずです。
しかし、愛の発信源を定めず、自分の存在を捨てて「誰かになりたかった」と歌っています。
「皆に慕われるような自分」になりたいわけではありません。
劣等感の塊である自分が誰かに慕われ、愛されるはずがないと思っています。
自分という存在は必要ない、他の誰かになりたいのです。
強烈な自己否定感に驚きます。
幼い頃に抱いた願いは「あんな風になりたい」ではなく「あの子になりたい」だったのかもしれません。
黒い鳥を救う者とは
「Black Bird」2番では、黒い鳥を見つけてくれる存在が登場します。
累とニナの関係性と照らし合わせながら読み解きます。