花が落ちて
蒼に染まる
窓は何を映す
出典: カーテンコール/作詞:南雲ゆうき 作曲:南雲ゆうき
「花が落ちる」という表現は、「恋に落ちる」と掛けていると考えられます。
落ちると表現する花の種類は限られていて、ここでは椿の花のことではと推測します。
椿の花の開花時期は、3月~4月の品種が特に多いです。
比較的寒い時期に花を咲かせるのは、受粉のために虫ではなくさらに遠くに花粉を運ぶ鳥を選択したからです。
1週間から10日ほどで花ごと、ポトリと落下します。
「蒼」は「あお」と読み、草の青さを示す緑に近い青色のことです。
新緑の季節になって、当たり一面が蒼色になっていく様子が表現されているのです。
とても端的に、かつ日本語表現の美しさを使って季節の移り変わりが描写されています。
窓の外には、刻々と移り変わる自然が見てとれるのです。
時が進むにつれて
時の流れが
狂っていく予感
静かに燃えてる
出典: カーテンコール/作詞:南雲ゆうき 作曲:南雲ゆうき
時の流れを自然風景の移り変わりによって感じながら、心の中は穏やかではありません。
燃えているのは恋の炎でしょう。
時の流れに反して進まない恋に、このままでは狂ってしまうという危機感を持つほどです。
表立ってはわからないほど静かな火ではありますが、心の中に熱い恋心を秘めています。
動き始める恋
清々しい朝に
霧がかかる
景色がすっと晴れる
そんな朝に
出典: カーテンコール/作詞:南雲ゆうき 作曲:南雲ゆうき
霧にまつわる諺に、「朝霧は晴れ」があります。
晴れた夜の後、地面近くの空気が冷えて水蒸気が水滴となり漂うため、朝に霧が現れます。
しかし空が晴れていると気温は上がって水蒸気が空気中に溶けることができるようになるのです。
そのため、朝は霧が出ていても次第に昼間には晴れて視界も開けるということが起こってきます。
この日は朝のうちに霧が晴れてすっきりと清々しく感じられる日だったのでしょう。
季節の移り変わりを感じて
木漏れ日が差して
駆け出したくなった
春は短い
出典: カーテンコール/作詞:南雲ゆうき 作曲:南雲ゆうき
茂った木の葉の間から差す光が木漏れ日です。
森の中、立ち込めた霧が晴れて上空から光が差している。
主人公は春の終わり、初夏の空気感を感じているのでしょう。
ここでの「春」は、理想や希望を持てる人生においての春、青春のことだと考えられます。
季節の移り変わりや自然のリズムを感じながら、自分の青春を想ったのかもしれません。
きっと自分が希望を持って過ごせる時期も短いし、行動に移すなら早い方がよいと強く思ったのだと思います。
「駆け出す」という言葉から、突発的に起こった思いや先急ぎたくなった思いが伝わってきます。
途切れない恋の魔法
触れられない果実
途切れることのない魔法
痺れている頭の中
逆さまに見える影
出典: カーテンコール/作詞:南雲ゆうき 作曲:南雲ゆうき
この箇所で果実が象徴しているのは、性的な若さではないでしょうか。
甘くて果汁たっぷりのフレッシュな果物は若さの比喩として使われます。
キリスト教で果実は、手にすることができないものはその事実のためにより魅力を増すという例えに使われます。
これは旧約聖書の創世記に記されているアダムとイヴが禁断の果実を食べた話からです。
恋する相手と触れ合うことはできないけれど、好きな人の魅力が魔法のように自分の思考を痺れさせる。
どんな時も強力な魔法のように惹きつけられる恋をしている様子が感じられます。
逆さまに見える影は、幻想的な蜃気楼のようなイメージでしょうか。
蜃気楼は空気中で光が屈折し、離れた景色が実際の景色とは違う形に見える現象のことです。
春の蜃気楼では気象条件により、実際の風景の上に伸びたり、反転した虚像が見えます。
恋の熱で頭の中が痺れていく様子を季節に沿った風景を連想させる表現を用いながら、巧みに描き出しています。