紫の空は広がっていき、群青との美しいグラデーションを描きました。
水面も色を映し、それを背景として白い衣装をまとった鬼束ちひろが歌います。
ピアノの旋律に重なるのは和の笛、もしくはケルト民謡を思わせるような音色です。
笛の音の伸びやかさのせいなのか、抑揚が少ない静かな曲にもかかわらず広がりが感じられます。
空だって決して広くは見えず、山の稜線に切り取られていますし、海は外海ではなくおそらく湖。
閉鎖的な空間を映しているPVなのに、開放的に感じるのは私だけでしょうか。
向かい合う2人の鬼束ちひろ
2番に入ると、2人の鬼束ちひろが向かい合って歌います。
上下する腕は互いの腕に向かい、相手を揺さぶっているかのように見えますね。
もう1人の自分に何かを言い聞かせるように静かに、力強く歌う鬼束ちひろが印象的です。
同じ場所に収束していく
歌詞を紐解いて見えた物語
鬼束ちひろの楽曲の大きな魅力として歌詞の意味深さが挙げられます。
美しい歌声に乗せられる数々の言葉には「狂気」が宿っていることもしばしば。
彼女が意図した世界観にたどり着くのは難しいかもしれませんが、私なりに曲の世界を紐解いていきます。
「茨の海」1番から見える貴方への忠誠
失恋した女性が男性への未練を歌った曲、と受け取れる歌詞です。
しかし深く読み解いていくと、違ったイメージが広がりました。
それは「何をされてもついていく」という男性への歪んだ忠誠。
つまり「ドメスティック・ヴァイオレンス(DV)」です。
何を願うことで 忘れることで
ここが鳴るのを殺したりできる
何を逃すことで 重ねることで
出典: 茨の海/作詞:鬼束ちひろ 作曲:鬼束ちひろ
悲しみに打ち震えるもの、戸惑って揺れるもの、心です。
何かがあってうるさく鳴り止まない心を、どうにかして鎮めたい。
「殺し」てでもおとなしくさせたい。
不安を消すためには何を思ったらいいのか。
胸の中で暴れているものをどこかへ逃してしまえばいいのか。
心をうるさくさせる要因を、わざと重ねていけばいいのか。
どうしたらいいのか分からず、選択肢を並べていきます。
低空を滑る私の非力な強さ
不快なロープが燃え落ちて行くのを見てた
出典: 茨の海/作詞:鬼束ちひろ 作曲:鬼束ちひろ
救いの手を差し伸べてくれた人がいたのかもしれません。
しかしそれをありがた迷惑、お節介、上から目線の哀れみのように感じたのでしょうか。
本当は強くないくせに虚勢を張って、助けの手=ロープが下がる高度まで行こうとしません。
そのうち助けの手は燃えて落下していくのです。落下した先は、どこでしょうか。
貴方の放り投げた祈りで 私は茨の海さえ歩いてる
正しくなど無くても 無くても 無くても 無くても
出典: 茨の海/作詞:鬼束ちひろ 作曲:鬼束ちひろ
「貴方」という言葉は主に男性に向けて使われます。また、相手に敬意を払う言い方でもあります。
もし、相手に裏切られて失恋したのなら「貴方」という表現は使わないでしょう。
未だに「貴方」のおかげで歩いていることから、次の2つを予想しました。
- 未だ続いている男女の関係の歌
- 「貴方」に未練タラタラの女性の歌
しかし、別れた女性に「祈り」を渡すような男性がいるでしょうか?
ということで「未練タラタラの女性の歌」という選択肢は消えました。
燃えたロープは海に落下し、茨となったと思われます。
周囲からの助言を切り捨てたことで、周囲は彼女に敵意を向け始めたのかもしれません。
もしくは彼女自身が周囲の助言を「自分を傷つけるもの・邪魔するもの」と感じているのかもしれません。
一面がトゲだらけの海から自分の足を守ってくれるのは「貴方の祈り」です。
しかし貴方は祈りを「放り投げ」るんですね。
これを、DVにおける「暴力の後の優しさ」のように受け取りました。
トゲの上を歩く彼女を背負ったり手を貸してあげることはしません。
ただ、自分にくくりつけておくのに必要なものを「与えて」いるだけなのです。
彼女は自分が誤った方向に進んでいることに気づいていますが、歩みを止めません。
「貴方」の祈りが正しくなくても、茨を踏みつけていくことが正しくなくてもいい。
ただただ、彼への忠誠心で前に進んでいきます。
「茨の海」2番でせめぎ合う2人の自分
幾つもの麻酔で 幼い私の
正気の在り処を分からなくさせる
どうかこれ以上に 見抜かないで
出典: 茨の海/作詞:鬼束ちひろ 作曲:鬼束ちひろ