「自由の彼方」ついて
あの童話がモチーフになっている
「自由の彼方」は、2015年1月7日に発売された1stアルバム「透明な色」の収録曲です。
この曲はベルギーの童話「青い鳥」をモチーフにしていると考えられます。
童話の青い鳥では二人の兄妹が「幸せの青い鳥」を探しに旅に出る物語です。
物語では主人公の二人は「思い出の国」や「未来の国」へ行って青い鳥を捕まえようとします。
しかしせっかく青い鳥を捕まえても、黒い鳥へ変わってしまったり死んでしまいました。
結局どうやっても青い鳥を持ち帰ることができなかったのです。
そんなとき、お母さんの呼ぶ声がしました。
「起きなさい、今日はクリスマスよ」
二人はベッドで目を覚まします。
すると、鳥籠の中に青い羽がありました。
童話はこうして幸せは実は身近で何気ない日常にあるのだと伝えています。
幸せは過去を見ても、まだ来てない未来を想像しても得られないのですね。
曲が伝えたいこととは
今回の曲では、童話だけでなく私たちの生活にも同じことが言えると伝えています。
何気ない日常に実は自分にとって大事なものがあることに自分で気づくことは難しいです。
この曲は身近なものに目を向け、大事なものは意外にもすぐ近くにあるんだよと伝えてくれます。
では、私たちにとっての大切なものとは何なのか。
それに気づくキッカケとは。
見ていきましょう。
鳥が逃げた理由と別れについて歌う一番の歌詞
鳥はなぜ逃げた?
ねえ なぜ 鳥は逃げた?
閉め忘れたあの窓から
ねえ なぜ 嫌われたの?
優しくしていたのに
出典: 自由の彼方/作詞: 秋元康 作曲: 山田智和
曲の一番最初の歌詞になります。
鳥が逃げてしまったのは何故だろうと考えているシーンです。
優しくしていたのに嫌われてしまったのか。
歌詞では嫌われてしまった自分に原因があるのではないかと考えています。
鳥は自然を飛んでるのが当たり前な生き物。
なので、人間の部屋が狭く感じて逃げてしまったとも考えられます。
だから窓が開いていて、飛んで行った。
そんなありきたりな理由も考えられますが、ここでは本当の理由がわからないでいます。
鳥は外の世界に何を求めていたのでしょう。
そして、本当に鳥が欲しがったものとは何なのか。
歌詞では、現段階ではそんなことは考えられず悲しむフレーズになっています。
悲しいのはそれまで鳥がいて当たり前、日常の一部となっていたのではないでしょうか。
そして、悲しいけどどこか客観的に捉えているようにも感じます。
自分の飼っていた鳥が逃げたのとはまた別のような。
おそらく鳥が逃げてしまったのは嫌われたからではないでしょう。
そこで鳥が逃げた理由はどこにあるのか、理由を探します。
別れから日常について考え始めた
ありふれた愛じゃ
君は充たされはしないのか?
平凡な日々は退屈だと思ったか?
手が届く夢はいつも輝きを失う
まるで枝を離れたいつかの緑
出典: 自由の彼方/作詞: 秋元康 作曲: 山田智和
鳥は平凡な日々が、退屈だと感じて逃げたのか、それとも、普通の愛じゃ満足できなかったのか。
鳥が逃げた理由をわからないでいました。
そこで夢について想いを馳せます。
夢は叶ってしまったらいつも輝きを失ってしまう。
憧れていたものが手に入ったら以前までの魅力を感じなくなる。
「隣の芝生は青い」や「無い物ねだり」という言葉があります。
手に入らないから輝いて見えることは誰でもあるということです。
でもそれはその物の価値が落ちたわけではありません。
その人自身の意識の問題です。
人は日常の一部になるとその価値を忘れがちになる生き物です。
「枝を離れたいつかの緑」というフレーズがそれを象徴しています。
いつかの緑は現在は緑ではないでしょう。
ここで「葉っぱ」ではなく「緑」と表現しています。
これは、枝と一緒のときは緑でいることが当たり前と認識しているからです。
枝を離れたら緑ではなくなることから、「枝を離れること」を「別れ」と重ねています。
別れに哀愁を感じると同時に当たり前の日常に価値を見出し始めるフレーズです。
幸せってどこか遠くにあるものなのか
みんなが無意識に感じていること
しあわせは(遠くにある)
誰かから(吹き込まれて)
海の向こうへ
飛んでみたいって無理したんだ
出典: 自由の彼方/作詞: 秋元康 作曲: 山田智和