SEKAI NO OWARIの狂気「Eye」収録曲
EDM路線の極北「Food」
SEKAI NO OWARIの楽曲「Food」はアルバム「Eye」の中でもひときわ際立つサウンドが魅力です。
EDM路線を極限にまで押し進めた結果によりかなり尖ったチューンに仕上がっています。
今の日本のシーンの中でこれだけ過激なエレクトロニクス・サウンドを出せるのはSEKAI NO OWARIだけ。
そう申しても過言ではないでしょう。
思い起こせばアルバム「Tree」から5年もアルバムを発表していなかった彼ら。
この間のありあまる創作意欲の賜物でアルバム2作を同時リリースします。
アルバムのコンセプトやカラーが違うとはいえ、「Lip」に較べると「Eye」の方が衝撃をもって迎えられました。
SEKAI NO OWARIが描く狂気の世界は現実のこの社会と地続きでした。
狂気を告発する者が狂人扱いされる嫌な時代に果敢に抗うSEKAI NO OWARI。
彼らの真摯なアチチュードは熱烈な支持を得ます。
楽曲「Food」は彼らにとって渾身の一曲であったようです。
2019年2月26日、YouTubeでMVをアルバム発売に先駆けて公開します。
ゴリゴリのEDMサウンドとビビッドな色使いの映像が印象的です。
作詞作曲はFukase。
彼とSEKAI NO OWARIが「Food」に託した想いを掘り下げてゆきます。
「Food」が指し示すもの
タイトルの「Food」はもちろん食べ物のことを指しています。
歌詞も様々な食べ物について列挙。
ただし、それだけでは留まらないのがFukaseの歌詞の奥深いところです。
それでは実際の歌詞を読み解いていきましょう。
「君」とは誰のこと?
成長するため君を吸収
ちゃんと消化して僕の一部に
出典: Food/作詞:Fukase 作曲:Fukase
歌い出しです。
わずか2行ですが奥深い。
食べ物を消化するのではなく「君」を消化するようです。
人間に限らずあらゆる動植物は何かしらの「Food」を得て消化吸収し成長を遂げます。
成長の影には必ず犠牲になる「Food」が隠れているのです。
Fukaseはまずその「Food」のことを「君」と表現します。
さて、歌われる「君」とは誰のことでしょうか?
まだまだこの段階では謎が多いです。
「Food」の歌詞は細切れにすると意味を解き辛くなるので先を急ぎましょう。
「Food」は大切な栄養源
「下品」に振る舞うことを奨励
上品ばかりが全てじゃないんだ
野蛮に下品にかぶりつくのもまた
愛を知らない獣のような
純粋で凶暴なその瞳
出典: Food/作詞:Fukase 作曲:Fukase
「Food」はあらゆる動植物に必須の栄養源です。
獣たちには「上品」と「下品」の区別ができません。
「上品」「下品」の区別を設けるのは人間存在だけです。
人間にとっては「下品」であることよりも「上品」であることが求められます。
人間ならば「上品」に「Food」を摂取したいところです。
しかしFukaseはときに「下品」に振る舞うことを奨励します。
「下品」に振る舞うことで人間の中の本性であるケダモノであった頃の習性が蘇る。
Fukaseはそれもまたいいじゃないかと歌うのです。
野生動物にも愛の観念はあります。
しかし群れの中から排斥されたような存在になってしまうと愛を知らずに育つことになる。
Fukaseはそのような排斥された存在の瞳の美しさについて触れるのです。
「上品」に振る舞うことばかりを強いられる社会の価値観を果敢に転倒させます。
凶暴さに宿る純粋さ。
「下品」でケダモノのようであることの美しさ。
この楽曲がSEKAI NO OWARIの狂気の部分をクローズアップした「Eye」に収録されているのも当然です。
ケダモノの美しさを称えることで既存の価値観に挑戦します。
「Food」の神性
「マナー違反」は赦さない
奥に残酷にえぐりこむ
価値のあるとこはもっと深くに
ふざけるなんてマナー違反だ
野蛮であっても無礼ではいけない
出典: Food/作詞:Fukase 作曲:Fukase
ここでFukaseは「Food」を摂取することの神聖さに関わる問題を提起します。
「野蛮」「下品」「凶暴」「残酷」
行為の様相がこのレベルにあることは問題にしない。
ただし「Food」の摂取に関して「ふざける」ことは大きな問題だと歌います。
「マナー違反」「無礼」
これらの態度は「Food」に対してあってはならないものだと釘を差すのです。
「Food」の本性は神と深い関わりがあります。
人間は古来より「Food」に対して敬虔な態度をとってきました。
食べる前に神への祈りを捧げる習慣。
御生命を「いただきます」と声に出す日本の習慣。
「Food」の接種の前に祈るのは歴史や民族、宗派の違いを超えて普遍的に見られる現象です。
そこに「ふざける」真似があってはいけない。
「マナー違反」であり「無礼」であるのは看過できない。
Fukaseの価値観は社会に対しては挑発的であっても神性や人間の根本原理が関わる部分では複雑です。