母親の命を半分分け与えられたともいえる、半身としての命。
それが子の命です。
そうやってこれまで、あらゆる命は紡がれてきました。
まるで繰り返す輪廻のようです。
子は、産み落とされたら思いきり呼吸をして生を感じたがっています。
母が自分を亡きものにしようとしていることも胎内で知っています。
そのうえで、世界を自分で築こうとすでに決めてもいます。
安息で平和な世界を、他ならない自分自身が造ろうと。
輪廻を断ち切りたい母
生むで廃棄する勇氣
空を斬つてゆく庖丁(ナイフ)
今日、胎盤、明日
出典: 葬列/作詞:椎名林檎 作曲:椎名林檎
母の心境に戻ります。
産んだ子を亡きものにしなければという強烈な決意です。
決して愛していないわけじゃない。
しかし、こんな世に放り出すならいっそこの手で、という決意。
包丁は決して何かを切り刻んでいるわけではありません。
虚に向けて包丁を振り回すのは、見えない絆を断ち切りたいから。
それは母から子へつながる輪廻。
母親は自分を最後に、すべてを終わらせたいのでしょう。
胎盤を間に、今日まではこれまでの輪廻が連なっていました。
明日からは子がこれからの輪廻を繰り返します。
もし、産んでしまえば。
母に説く子
僕を食しても植わらない理由は
「渾(すべ)て獨りぼつちだから」。
出典: 葬列/作詞:椎名林檎 作曲:椎名林檎
人間は孤独な生き物である
子の視点です。目まぐるしいですね。
子宮の中で、子は母に語ります。
人間は産まれる前からひとりであり、産まれてもひとりであると。
母が自分を宿し、産もうと産まなかろうと、彼女もひとりである。
それが総て、人間の性であると。
ここで自身を亡きものにしても、何も救われることはない。
母は孤独を畏れた。
しかし孤独を埋めきれるものなど存在しない。
それを知っているからこそ生きられるのだと子は母へ説きます。
産まれる前から子に識力があるのはなぜ?
赤子には前世の記憶が宿るといわれています。
ただその記憶は産まれてから徐々に消えてしまうといわれていますね。
この達観は、子の自我ではありません。
産前である子には、母親の先祖が宿っていたと推測します。
ひとりではなく、何人もの先祖の意識の集合体のように。
まさに輪廻の象徴であるといえるでしょう。
一つの歌詞に交差する二人の想い
偖(さて)は、こんな輪廻と交際をする
業が、お嫌ひなのでせう、当然です。
未だ何の「建設も着工」してゐない、
白紙に還す予定です。
出典: 葬列/作詞:椎名林檎 作曲:椎名林檎
皮肉のように生を否定し続ける母
話者は再び母へ。
前述のとおり母は自分の生を呪っているかのようです。
自分の子に自分の宿命を背負わせたくないと思っています。
絶望に満ちた世界はおそらく彼女の中で作られたものです。
そのため、こんな宿命を子に背負わせたくないと考えます。
こんな私の中から産まれてきたくはないでしょう、と。
すべてなかったことにするという母の強い否定です。
子の想いが歌詞に重なる
実はここで、子の想いがオーヴァーラップします。
母のような人生が自分にも降り注ぐかもしれない。
それでも、子はまっさらな人生を送りたいと願う。
それが生まれたときから孤独な「生」そのものである。
生を享受したい子の心情が同じ歌詞の中で重なります。