お顔を。さあ、拝見させて下さい。
出典: 葬列/作詞:椎名林檎 作曲:椎名林檎
出産の描写なので、母が産まれてきた子を見る光景が浮かびます。
が、本曲ではおそらく「子が母の顔を見る」という視点でしょう。
謙譲語が使われているのも頷けます。
輪廻を厭う母のことも、胎内で受容してきたという赦し。
半身たる存在である母の顔を見せてほしいと懇願します。
最後まで「生」を願う子の言葉。
そしてこの奇妙な物語は幕を閉じます。
「葬列」とは?そして「半分の意味」とは?
葬列は「輪廻」の象徴
考察の流れからすると「子の葬式」とも捉えられます。
が、ここでは「輪廻」を葬送の行列に見立てていると考えます。
逝ってしまった先祖たちが列に加わる葬儀。
あの世との現実と狭間で起きている葬送なのでしょう。
死を想うことは、生を想うことと同義だともいわれます。
輪廻は終わりだけでなく、始まりでもあるのです。
弔おうとする母の歩んだ人生
母から命を半分分け与えられた、半身としての命。
生に「半分の意味」を見出したのは、子のほうでした。
なぜなら、母にとっては意味を捨てた命だったからです。
最後まで母は、子の命を弔おうとしていました。
何度も繰り返しましたが、おそらく母の人生は壮絶だったはずです。
この世界、そして宿した子の歩む人生をも絶望するほどに。
子は先祖の言葉を宿し「どうあってもひとはひとりだ」と告げます。
だからこそ生きてゆくのだと。
それが母に通じたかどうかは、定かではありません。
母子の「その後」は描かれることなく、曲は終わりを迎えます。
本曲の裏テーマ
本曲には「裏テーマ」があると考察します。
それは、「子を産むこと」を「自分の人生を生き直したい」と捉えることです。
過去の自分と決別し、これからの自分は、産む子のように新たなものとする。
しかし、これまでの過去を完全に断ち切ることはできない。
また、未来の自分に安息で平和な人生が待っているとは限らない。
だったらいっそこの輪廻を今ここで断ってしまいたいというジレンマのようです。
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ここまでが「葬列」の歌詞考察です。
いささかショッキングな内容だったかもしれません。
ただ、別の意味で解釈すると前向きな生に溢れた曲とも捉えられます。
林檎女史の作品は、映画を一作観終えたかのような感覚になりますね。
同アルバム収録「茎」の歌詞考察
「加爾基 精液 栗ノ花」のちょうど中間に収録されている「茎」。
OTOKAKEでは、本曲の歌詞も解説しています!
なお、シングルでは「STEM」というタイトルで歌詞が英語になっています。
「迷彩」や「意識」も収録されており、アルバムとバージョンが異なります。
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同時期にリリースされたアルバム未収録曲
シングル「真夜中は純潔」は、アルバム未収録となった楽曲です。
亀田師匠ではなく東京スカパラダイスオーケストラが編曲を担当しています。
アルバムの世界観とのギャップから収録が見送りになりました。
なお、ミュージックビデオがとにかく練られている作品です。
全編アニメーションで、観ていて楽しさもありますよ。
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