「インディゴ地平線」と逃避行
1996年10月23日発表、スピッツの通算7作目のアルバム「インディゴ地平線」。
このアルバムのタイトル・チューンである楽曲「インディゴ地平線」をご紹介しましょう。
アルバム全体の雰囲気もスピッツがロック・バンドであることを明確に示したものです。
楽曲「インディゴ地平線」もそのタイトル・チューンらしくロック・サウンドを聴かせてくれます。
もちろんスピッツらしいフォーキーでポップな側面もあるのです。
しかし最後に感じる肌触りのようなものは明らかにロックを聴いたときのザラッとしたものになっています。
この印象はサウンドからだけでなく楽曲の歌詞からも感じられるものです。
草野正宗らしい難解さが健在の歌詞ですが、楽曲のイメージはタイトルに集約されています。
「インディゴ地平線」、つまり濃い青の空と地平線が交わる場所まで逃げ込みたい思いを語るのです。
固有のロマンチシズムと厳しい社会批評的な視点が交錯する歌詞が見事でしょう。
スピッツの魅力が全開で展開されたこの「インディゴ地平線」の歌詞の謎に迫ります。
それでは実際の歌詞をご覧いただきましょう。
どこまでも遠い土地
藍色の染料や顔料で満たす空
君と地平線まで 遠い記憶の場所へ
溜め息の後の インディゴ・ブルーの果て
出典: インディゴ地平線/作詞:草野正宗 作曲:草野正宗
歌い出しの歌詞になります。
インディゴ・ブルーというものについては説明が必要かもしれません。
歌詞に登場する人物は語り手の僕と愛する君です。
インディゴとはデニムなどの染料に用いられたり顔料として絵画に使用されたりします。
またデニムのノンウォッシュ生地などで見られる濃い藍色をインディゴ・ブルーというのです。
地平線の土や緑の色と濃い藍色の空という色彩豊かな描写になっています。
僕と君はどこまでも遠くまで走ってゆこうとするのです。
オートバイで果てしなく続く道を疾走するイメージが浮かびます。
目指すのは旧い記憶が眠る土地です。
ふたりは若干疲れた心境であるのがうかがえるでしょう。
僕と君はいまの都会暮らしが嫌になって道なき道を疾走します。
「インディゴ地平線」はふたりの逃避行劇がストーリーの基軸になっているのです。
やるせない気持ちを抱えながらも希望の土地へと向かってゆく男女ふたり。
逃避行の原因になった事情についてはぼんやりとしか説明されません。
しかし私たちもどこかで都会の暮らしに疲れ切っています。
事情が許せば違う土地でやり直したいと願っている人も多いでしょう。
「インディゴ地平線」はそうした私たちの疲れを代弁してくれるのです。
都会暮らしに疲弊する若者たち
つまづくふりして そっと背中に触れた
切ない心を 噛んで飲み込むにがみ
出典: インディゴ地平線/作詞:草野正宗 作曲:草野正宗
ここでは都会暮らしがいかに厳しかったかを噛みしめます。
また逃避行の際に君が僕の背中をそっと擦ったのかもしれません。
その背中の感触に僕はどうにも切ない印象を抱くのです。
都会暮らしというものはどうしてもストレスが溜まるものでしょう。
毎日の通勤電車でのラッシュアワーの中で仕事に就く前に私たちは疲れ切ってしまうのです。
交通機関での混雑具合だけでなく家賃や物価の高さというものが悩みのタネになります。
世界で一番ストレスが溜まる都市は東京だという調査結果だってあるのです。
そのために私たちにとっても僕と君の逃避行は他人事ではないでしょう。
むしろ草野正宗は私たちの辛い思いまでも代弁してくれます。
どこか悲愴さのような気分が漂っているのですが、ロックなサウンドが私たちの気持ちをアゲてくれるのです。
ただ逃げてゆくという思いは人に引け目を感じさせてしまいます。
僕と君は誰かに追われている訳ではないのですが、固有の重さというものを背負っているのです。
責任のある場所から逃げ出してしまったことに罪の意識というものを感じているのでしょう。
しかし僕と君が地平線の果てを目指す意志というものは固いのです。
スピッツのロック精神
傷だらけでも前に進む
逆風に向かい 手を広げて
壊れてみよう 僕達は 希望のクズだから
出典: インディゴ地平線/作詞:草野正宗 作曲:草野正宗
吹いてくるのは向かい風です。
僕と君が逆境にめげずに進んでゆく姿を強調します。
ふたりには抗う気持ちがあるからこそ都会を逃げ出したのです。
この反骨精神というものが確かなものであるなら、私たちだって身の振り方を根本的に見直せるでしょう。
地平線の向こうまで目指して進んでゆくふたりが羨ましく思えるのはそのためです。
強い意志というもの、それも向かい風が吹く逆境の中でも前進する気持ちというものは貴重でしょう。
草野正宗はここに命がけで挑戦しているというニュアンスをプラスします。
自分たちが破壊されても前に進むのだという決意はロックらしい姿勢に基づくものです。
なぜ僕と君は破壊されることを怖れないのでしょうか。
おそらく持つものが少ないという僕らの事情がそうさせるでしょう。
守るものがない人は無敵です。
僕と君は都会では持つべき財産などが殆どない若者でした。
無産者という言葉に近いものがあるはずです。
草野正宗はこうした若者に固有な事情を心理面に反映させます。
フィクション前提の物語
屑という表現にびっくりなされるかもしれません。
自称でも自虐でもここまで露骨な表現は珍しいでしょう。
しかし最低な人間であるという意味の屑ではないのです。
糸屑というように欠片まで細分化された小さな存在に過ぎないということを自虐しています。
しかし僕と君には望むべき未来があるのです。
志というものがあるからこそふたりは地平線の向こうを目指します。
行き着く場所での新しい生活について希望を忘れない存在なのだと僕は歌っているのです。
自分のことを小さい存在だと見極められる僕には老成した精神が宿っていることを覗けます。
若いうちこそ自分自身を過剰に評価しがちです。
しかし僕にはそうした自意識過剰な側面は見られません。
おそらく都会で鼻柱を折られた経験などが僕をこうした自己評価に導いたのでしょう。
いずれにしても自分のことをきちんと見極められる僕の心は大人びています。
一方で新しい生活を望む若さも同居しているのです。
僕という存在は深く迷走した過去を持っているのでしょう。
草野正宗自身のパーソナリティと僕の心境がどう結び付くのかまでは分かりません。
「インディゴ地平線」は明らかにフィクションですし、ロマンチシズムも同居したものです。
草野正宗の情熱に裏付けられた歌詞とはいえ舞台設定までどこまでも想像力に頼った歌詞であります。