「花はどうしてる?」つぶやいて噛みしめる
幼い日の記憶を払いのけて
終わりのない青さは 終わりがある青さで
気づかないフリしながら 後ろは振り返らずに
終わりのない青さが 僕を小さくしていく
罪で濡れた瞳や 隠していた傷さえも
新しい朝に怯えた
爽やかな 新しい朝にまみれた
出典: 花と虫/作詞:草野正宗 作曲:草野正宗
完全に虫視線でも解釈できるのですから怖いです。
しかし実際は語り手の人間が虫くらいに自分が小さかった頃の記憶について語っています。
小さかった日々には大自然は広大に思えたものです。
あの頃見た花はいまどうなっているだろうと回想します。
幼い時代の記憶がフラッシュバックしてくるのです。
自然界はどこまでも広大に思えていました。
しかしその自然界にも実際には限りがあります。
そのことに気付いた大人に育ったのでしょう。
しかし虫視線というか花に惹かれる小さな存在の自分にもう一度還ります。
そうすると大人に育ってゆく段階で犯してしまった罪や傷の跡が相対的に小さく見えると歌うのです。
ノスタルジックな内容の歌詞ですが現在進行形で生きてゆく智慧としてこうした思考実験をする歌でしょう。
引用していないところでは語り手の出身地はジャングルだといっています。
人かな、虫かなみたいな解釈のせめぎあいをリスナーに仕掛けるのです。
6曲目「ブービー」
美麗な佳曲でクールダウン
可憐な小曲のような趣を持っています。
曲の中盤になるとスピッツ節が全開にもなる素晴らしい楽曲でしょう。
ピアノの響きやハミングでのコーラスが美しい佳曲です。
最後から2番目を表す「ブービー」とは曲中でどんな意義になるのでしょうか。
草野正宗の歌詞はここで極度に抽象的になります。
なるほどサウンドもこうした傾向を負っているのかもしれません。
実際の歌詞を見ていきましょう。
「スペースデブリ」という自虐
破れかけた 地図を見てた 宇宙から来た 僕はデブリ
学びたいのに 追いつかなくて だけど楽しい 薄着の心
いつもブービー 君が好き 少し前を走る
水しぶき 中休み 高くはねる
暗闇にも 目が慣れるはず 弱さでもいい 優しき心
出典: ブービー/作詞:草野正宗 作曲:草野正宗
デブリとは残骸や破片のことです。
その前に宇宙から来たというのですからいま問題になっている「スペースデブリ」のことでしょうか。
宇宙ゴミとも呼ばれる「スペースデブリ」。
人類の宇宙開発が盛んになった末に使えなくなった人工衛星やロケットが地球の衛星軌道を周回しています。
とはいえあまり宇宙ゴミの話題をしているようには思えません。
自分が「スペースデブリ」のような存在だと自虐しただけのようです。
学業でも体育科目でもいつもブービー。
このブービーが僕を指すのか君のことなのかも見極めが難しいでしょう。
ただ成績は下から2番目でも優しい人間にできているのだという思いが伝わってきます。
学園生活での情景に訴えるその若々しさは年少のリスナーの心を掴むでしょう。
下から2番目だから弱っちいよという嘲り笑いも気にしません。
大切な価値というものは優しさにあるという草野正宗の心持ちが浮かぶのです。
7曲目「快速」
8ビートのロックとはこういうもの
前曲の「ブービー」とは印象をガラリと変えてきました。
アルバムに緩急をつける役割があるのでしょう。
この中盤辺りで曲調に変化をもたらしました。
ギターのクランチ・トーンのアルペジオで始まるこの曲。
草野正宗のボーカルが始まるとタイトルの「快速」のとおりに疾走感を全開にします。
典型的な8ビートのロックでパワー・ポップってこういうものというお手本のようなサウンドです。
歌詞の方は鉄道愛好家も喜びそうな内容になっています。
とにかく新幹線よりも先に行こうぜと快速電車に発破をかけるのです。
典型的な3分ソングの潔さとともに印象に残る楽曲でしょう。
在来線が新幹線を追い抜くとき
無数の営みのライトが瞬き もどかしい加速を知る
速く速く 流線形のあいつより速く
すすけてる森の向こうまで
記録に残らない 独自のストーリーだって
たまに忘れそうになるけど
県境越えたら 君の街が見えて
細長い深呼吸をひとつ
地平の茜色が徐々に消えていく レール叩く闇のリズム
強く強く もう無いはずの力で強く
ギュギュッとしてる想像でひらけた
出典: 快速/作詞:草野正宗 作曲:草野正宗
君という存在が登場しますから恋愛要素もあります。
ただ、恋愛メインの楽曲ではありません。
とにかく快速電車にポテンシャル以上の疾走りを期待しているようです。
流線型の列車とは新幹線でしょう。
いくら快速電車とはいえ在来線が新幹線を追い抜くことはできません。
しかし新幹線よりも在来線の快速電車に思い入れがある人は多いはずです。
車窓からの風景を楽しむ暇もない新幹線よりは在来線の方が喜びが多いかもしれません。
心の持ちよう次第ではないかと歌うのです。
夕暮れ時から宵闇に沈む時間の快速電車の姿を描いています。
詩情というものは新幹線にはないでしょう。
快速電車だからこそまだ詩情を注ぎ込めるのです。