THE KIDS(Suchmosのアルバム)について
『THE KIDS』は『THE BAY』から1年6か月ぶりの2枚目のスタジオ・アルバムで、2017年1月25日リリースされました。楽曲『PINKVIBES』は3曲目に収録されています。
『PINKVIBES』は、Suchmosが正面からアシッド・ジャズに取り組んだ結果、生まれた楽曲です。
ヒップホップ・グループSANABAGUN.の谷本大河に演奏してもらったサックスの音を、ターンテーブルのスクラッチに使っています。
そもそもSuchmosはアシッド・ジャズ系ロックバンド、和製ジャミロクワイなどと言われていました。もちろん、自身がジャミロクワイを愛好しているとさまざまな媒体で表明していますし、
『Stay Tune』でもジャミロクワイの『virtual Insanity』を彷彿(ほうふつ)とさせるシーンを入れ込むなど、アシッド・ジャズの旗頭であるジャミロクワイに近い路線を歩んで来たと言えるでしょう。
今回はそうしたアシッド・ジャズ系ではなく、正面からアシッド・ジャズを作り込んだ作品と言えるのです。
アシッド・ジャズとは
アシッド・ジャズは80年代後半に立ち上げられたレーベルの名前です。また、90年代初頭にイギリスで発生した「ジャズで踊る」をコンセプトにした音楽の潮流を示します。
ここから発信された音楽はジャズをはじめ、70年代のソウル、ファンクなどに影響を受けたものが多いことから、ひとつの音楽ジャンルとして、1980年代にイギリスのクラブシーンから派生したジャズの文化のこととしています。
「アシッド・ジャズ」の語源は、DJブースの背後に設置されたプロジェクターで点滅する「ACID」の文字を見て「アシッド・ジャズ」との言葉を発案したとのこと。
まさにクラブシーンから生まれた音楽ということになりますね。
『PINKVIBES』撮影秘話
撮影場所は、寒風吹きさらす浜辺・・・・・・
レペゼン茅ヶ崎としてこの楽曲、江ノ島あたりの海岸沿いを撮影したのかと思いきや、今回の映像は茨城県で撮影されたそうです。
撮影は2月、ミュージックビデオの中では、YONCEとOKとHSUがオープンカーでドライブしているシーン。YONCEは、Gジャンに中が半袖のTシャツといういでたち。
一応、中にいわゆる体温で暖かくなる下着を着込んで撮影に臨んだのですが、そんなのはまったく歯が立たないほどの寒さだったというのです。
映像ではオープンカーで気持ち良さそうに風を浴びていましたが、実際はかなり過酷な現場だったのです。1980年代の香りがする古いアメ車である設定は、まさにアルバム『KIDS』のカバー写真と符合します。
白いオープンカー
ミュージックビデオにでてくるオープンカーは、雑誌『SWITCH』でSuchmosが表紙を飾ったものとまったく同じものなのです。
これは意図しない偶然だったようで、たまたま、同じところの同じ車を借りてきただけだったとのこと。
ミュージックビデオのためにオープンカーを用意した方も知らなかったそう。この辺にも、映像監督のセンスが光っています。
オールディーズのアメ車に、ちょっとクラシカルな雰囲気のただようリーゼントヘアのYOUCEとSuchmosの面々は、これまでも音楽専門誌やファッション誌の表紙を飾ってきました。
今やファッションアイコンの彼ら、スニーカーへのこだわりや、ジャージ、スカジャンはかつてのブームとは違う形で若い世代へ浸透しているのです。
『PINKVIBES』のMV
Suchmos、2nd ALBUMより『PINKVIBES』のMVが公開!今作のディレクションは、dutch_tokyo(ダッチトーキョー)こと山田健人です。
山田健人(ヤマダケント)の存在
山田健人は東京都出身の映像作家。1992年生まれの彼はこの世界では若き旗手とも言える存在です。Suchmosのメンバーとも比較的年齢が近いことも有り、感性などで響き合うモノがあったのかもしれませんね。
彼はこれまでにSuchmosの『STAY TUNE』、『Girl feat.呂布』、『YMM』を手掛けており、Suchmosの世界観を余すところなく形作っています。
また、近年では宇多田ヒカル『忘却 featuring KOHH』や米津玄師『orion』など、ビッグネームから巷を席巻する売れっ子まで、現在話題のミュージックビデオの監督を務めているのです。
彼の映像のすごさはその独創性。独学でモーショングラフィックを皮切りに映像を学び、形式や先入観にとらわれない、自分の感性に軸を置いた制作を行うことで知られています。
彼がかっこいいと思う瞬間を抽出するような絵作りと言えるでしょうか。中学からの慶應っ子で、中学時代には自身でプログラミングしてゲームアプリを開発するほどの才能を開花させています。
とはいえ、彼の映像の多様性からかいま見られるとおり、彼は高校時代には自作のアンプ製作にはまったり、アメリカンフットボールにのめり込んだりと、その興味の赴くまま、深く追及するといった学生時代を過ごします。
それは彼の絵作りも同じ。彼の納得の行く映像を追及した結果が、あのミュージックビデオを生み出しているのです。