私は、20歳の時、勤め先で、ある大学生とめぐり会いました。まじめに働く人という印象で、やさしくて、ユーモアも有って、学費を稼ぐためにバイトしていると聞いたんです。

カラオケで意気投合し、彼の告白を受けました。その彼が、大学3年になった時、大学辞めて故郷の仙台に帰るというのです。父親が会社のリストラに会い、援助できなくなったというのが理由でした。

私達は、何度も話し合い、彼の本心を聞いたんです。「本当は、大学卒業して、きちんと就職して、出来たらお前と結婚したい」と言ってくれたんです。

「でも、バイトだけで生活費や勉強の時間は取れない」だから、親の言う通り、仙台に帰って、再度考え直すというのです。

相談を重ねた末に、このまま大学辞めないで、将来を二人で切り開くために、高級スナックで21歳の時から働き始めたんです。 そこは、新潟の有名な繁華街古町商店街の中にあり、遠い親戚の人がオーナーママをしていたのです。

生活費を削減するために同棲しました。学費の援助もしました。でも、1年後位から、だんだん、学校も行かなくなり、お酒と競馬にのめり込んでいったのです。 話し合いしてもいつも喧嘩になります。卒業できず「留年」になった2年後、本気で別れ話をしました。しかし、彼は、今後はまじめにやるからと「婚姻届け」を私の目の前に出してきたのです。 人並みの結婚も夢見ていました。まだ、愛情も残っていたんです。 「結婚」すればやり直せるかも知れないともう一度彼を信じようと思ったのです。

現実は、婚姻届けを出した後も、だんだんひどくなり、文句を言うと暴力ふるうようになったのです。 外泊も増えてきて、電話も出ない状態になり、帰ってくるなりお金の要求です。

女性遊びも、バレバレになって行き、最後は、開き直り!別れ話をすると、暴力の後の泣き落としです。それが何度も繰り返されたのです。 

事情を打ち明けたスナックママの紹介で、誰も知らない佐渡に逃げて来たのです。身も心もボロボロになっていました。 私の、24歳の時でした。

紹介された小さい居酒屋の手伝いに入りました。もう、男はいらないと思いました。

「出会い」

それから、2年後、あの人と会ったんです。 あの人は、夜遅く一人で、1週間に2~3回ぶらっと入ってくるのです。一番隅のカウンターが定位置で、日本酒とお刺身と「鯛のかぶと煮」を最初に頼むんです。 最初だけいつもお酌をします。“後手酌でやるから、いいよ”そう言うと、静かにお酒を噛みしめるように飲んでいました。私より、相当上で30歳前後に見えました。

無口だけど、嫌な雰囲気が全くない人でした。他のお客さんは、私を誘ったり、下品な話もします。そんな時も、あの人は、嫌な顔もせず、静かにお酒を飲みながら、たたずんでいるだけでした。 ある日、店仕舞いの時間に、お店の主人が「仲間と飲みに行くので後はよろしくお願いしますね!ゆっくり飲んでいってください」と出て行ってしまいました。二人っきりになったのです。

他に、お客さんがいないので、お酌をしに行ったんです。”ありがとう。君もどうですか?“そう言ったんです。「いただきますわ」乾杯しました。初めての会話でした。

「佐渡の能」:「薪能(たきぎのう)」

その時”佐渡の薪能(たきぎのう)“に感動したことを話してくれたんです。「佐渡には、日本の能舞台の3分の一が集まっているといわれていて、その数30余りある」ということにびっくりしました。 佐渡はその昔(室町時代頃まで)流刑の島とされていて、その中には、「能」の大成者として知られている世阿弥も含まれていたというのです。 何にも知らないけれど、一度見てみたいと思ったのです。

「今度連れて行ってください!」とつい言ってしまったのです。自分でもびっくりしました。”彼氏はいないのかな?“「いません。いません!」と否定してしまいました。 

佐渡の能の多くは、夜に薪を焚いて行う「薪能(たきぎのう)」だと知りました。初めて見て、厳粛な気持ちになりました。

それからは、お昼の時間や、休みの日によく会うようになったのです。時々あの人に手料理やお弁当を作りました。あの人の静かだけれど強い意志と包容力に包まれていきました。 

あの人は、能登を初め日本海の「魚貝類や農産物」などを直接生産者から買い取って、卸売り出来るルートづくりをする仕事で、1年のうち3分の二は日本海を巡っているという話でした。

「残酷な別れ」

夢のような1年が過ぎ、私にやすらぎに満ちた生活が与えられたのです。言葉は少ないけれど、言葉の端々に、あの人は、明らかに私との将来を考えようとしていました。 そんなある日、悪夢が現実になったのです。前の彼が、怒鳴り込んで来たのです。 地獄のような時間でした。あの人は、私を振り返りました。見たこともない厳しい目に、私は、首を振り続けました。 

メールが来ました。“君が奥さんだとは知らなかった。済まなかった。さよなら!” 彼は、私を責めずに去っていきました。

父にも話し、先方との離婚が成立したのは、1年も後でした。

「佐渡の夕笛」の歌詞を待ち続ける「私」の視点で解釈してみます。

① 「桔梗」(ききょう)

荒海にあのひとの 船が消えて
ふた年(とせ)み年(とせ)と 過ぎてゆく
今年も浜辺に 島桔梗

咲いても迎えの 恋文(ふみ)はない
待ちわびる… 切なさを…
佐渡の 佐渡の夕笛 届けて欲しい

出典: 佐渡の夕笛/作詩:仁井谷俊也 作曲:弦哲也 編曲:南郷達也

あなた!お元気ですか?あなたとお別れして、もう2年を過ぎ3年も過ぎました。 今年も島桔梗が咲きました。 キキョウの花言葉は、「永遠の愛」や「誠実」です。桔梗が一生涯待ち続けた娘であったという物語に由来するそうです。

あなたの誠実さが、今も変わらず私を包み続けています。 もう一度、あなたに会いたい!声だけでいいから聞きたいのです。

私は、ここ佐渡であなたを待っています。

② 「慕情」 

都には美しい 女(すむ)が住むと
こころの奥では わかっても
夜空に浮かんだ 眉の月

わたしに似てると 抱いたひと
今宵また… 哀しげに…
佐渡の 佐渡の夕笛 波間に響く

出典: 佐渡の夕笛/作詩:仁井谷俊也 作曲:弦哲也 編曲:南郷達也

美しい女性も都会には多いと思います。 あなたが好きだった三日月が、今日も佐渡の夜空に輝いています。

私の口元が好きだと言ってくれたあなた!佐渡の海が荒れています。波の音が、夕笛になって響いています。

③ 「かがりび」

篝火があかあかと 夜を染めて
女の炎が 燃えあがる
この指この髪 この命

あのひと以外は 愛せない
朧(おぼろ)げな… 夢でいい…
佐渡の 佐渡の夕笛 叶えて欲しい

出典: 佐渡の夕笛/作詩:仁井谷俊也 作曲:弦哲也 編曲:南郷達也