謝罪会見とは
「謝罪会見」は2017年6月21日にDOTAMAがリリースしたシングル。
実際に謝る立場になったという目線から描かれた歌なのですが、謝罪そのものに対する問いかけを歌っています。
謝罪は個人から大きな組織まで、そのスタイルや誰に向けて謝るのかも様々。
しかし、ただ謝ればそれでいいのか?という疑問をこの歌は投げかけます。
一体何を謝罪すればよくて、誰に向けて謝罪をするのか?
そんな心の葛藤を抱える人々へのメッセージが詰まった1曲となっています。
DOTAMAとは
生誕 1984年11月19日(33歳)[1]
出身地 日本の旗 日本・栃木県佐野市
ジャンル ヒップホップ
レーベル 術ノ穴(2007年-)
事務所 術ノ穴(2007年-)
出典: https://ja.wikipedia.org/wiki/DOTAMA
DOTAMAは毒舌を交えたユーモアある歌詞でラップを歌うヒップホップMCです。
中学生の頃にDragon Ashにの影響を受けてラップを始め、学生時代からMCバトルなどに参加。
その腕を磨き、2005年には自主製作の曲をリリースしました。
2007年には音楽レーベル・プロダクションの術ノ穴に所属し、2012年に脱サラし本格的な音楽活動に乗り出しました。
その後、映画への出演やアイドルグループの作詞などを担当し、活躍の幅を広げていきます。
2017年には『ULTIMATE MC BATTLE2017』で優勝するなど輝かしい経歴も持っています。
そんなDOTAMAの魅力はなんといっても歌詞。
毒舌的で辛辣な歌詞はユーモアも溢れており、DOTAMA独特のセンスが光ります。
見た目は黒眼鏡にスーツという真面目な青年風なのですが、一度舞台に立つと熱いステージを披露します。
それが見る者に強烈なインパクトを与えるのも特徴的です。
土下座の高速移動が見られるMV
公開されているMVでは歌詞に合わせて物語が作られています。
営業マンとなったDOTAMAはクライアントの極秘資料を誤って紛失。当然クライアントは激怒します。
DOTAMAは深々と頭を下げて申し訳ございませんと謝罪をすることになりますが、そこには心の葛藤が。
サビの部分では「謝りたい」の歌詞に合わせて土下座をする姿が連続映像で流れるのですが
この撮影の際には300回も土下座をして撮影を行いました。
街中を土下座しながら高速移動する姿は、MVの中の見どころとなっています。
歌詞について
何かミスをしてしまった時。
誰かに迷惑を掛けてしまった時。
謝るシーンというのは日常にたくさんありますよね。
しかし、SNSなどが発達した今、犯罪を犯したわけでもないのに声高に謝罪を求められるケースも増えています。
理不尽な謝罪を求める声に対して、一体自分は誰に何を誤ったらいいのか。
そんな葛藤を抱える全ての人へ向けられたメッセージの詰まった歌詞を独自の目線で解説していきます。
犯罪も犯していないのに謝れと言われます
謝れと皆 俺に言う 誰彼 謝れと俺に言う
「お前のせいで不愉快になった 頭下げて謝罪しろ」と言う
窃盗 詐称 恐喝 横領 どれもやって無かろうと強要
殺人 隠蔽 着服 暴行 ツイートも炎上してねえぞ
あの金 借りパクしたかなって 誰かに迷惑かけたかって
心当たりも何もない なのに 兎にも角にもDISられる
俺の言動に傷ついた? 精神的苦痛を被った?
面倒くせえ 陳謝致します 誠に申し訳ありません
出典: 謝罪会見/作詞:DOTAMA 作曲:Quviokal/DOTAMA
MVでは書類を紛失した営業マンDOTAMAが謝罪をすることになりますが、歌詞ではあらゆることへの謝罪について述べています。
特に犯罪も犯していないというのに、お前のせいで不愉快になった!という理由で謝罪を求められます。
ツイート炎上が入っているところに現代の背景が現れていますね。
犯罪もしていないのに、自分の発言、行動で不愉快にさせたという理由で謝罪を求められる。
申訳ないとは思うけれど、なんだかモヤモヤしてしまいますね。
SNSが発達した現在ではツイッター上などでこんなやり取りがありそうです。
誰に何に謝れば?
謝罪するかさせるかの現代社会 お詫びに限界はない
クレーム野郎 バイバイゲーム 全員で 謝罪会見
誰に謝ればいいの 謝る相手が多過ぎて
何に謝ればいいの 謝るコトがもう多過ぎて
謝りたい 謝りたい 謝りたい 誠に申し訳ありません
謝りたい 謝りたい 謝りたい 誠に申し訳ありません
出典: 謝罪会見/作詞:DOTAMA 作曲:Quviokal/DOTAMA
謝罪は会社などにいるとクレームをつけてきた相手に謝ることもあります。
この場合、組織が毅然とした態度を取らずすぐ謝る体制の場合、クレームを言ったもの勝ちということもありますよね。
理不尽なクレームにも謝らなければいけないこともあります。
一体誰に、何に謝ればいいのか、これは本当に謝るべきことなのか?と問いかけているような印象もあります。