坂本龍一&細野晴臣&高橋幸宏の経歴まとめ
YMO(ワイ・エム・オー)の正式名はイエロー・マジック・オーケストラ(Yellow Magic Orchestra)。
伝説的テクノユニットですが、1978年に結成され、1983年に散開(解散)しています。
その後、1993年に一時的に再生(再結成)、2007年から活動復活という流れです。
つまり黄金期は70年代後半から80年代、そして1993年ということ。
10代~20代の若い世代のなかにはリアルタイムでYMOを聴きたかった人も多いでしょう。
メンバーは3人
世界を席巻した伝説期を知らないと、YMO=坂本龍一さんというイメージがあるかもしれません。
ところがYMOの発起人、リーダー兼プロデューサーは細野晴臣さんです。
細野晴臣さんのソロアルバム「はらいそ」の収録曲「ファム・ファタール~妖婦」に2人が参加。
そのレコーディングをきっかけにYMOが結成されたわけです。
このアルバム「はらいそ」には大貫妙子さんやかまやつひろしさん、あがた森魚さんなども参加。
アルバムのアーティスト名義は、細野晴臣&イエロー・マジック・バンドだったわけです。
つまり、YMOというコンセプトも細野晴臣さんの発案ということ。
そんなYMOの3人、坂本龍一さん、細野晴臣さん、高橋幸宏さんのプロフと経歴をまとめました。
坂本龍一プロフまとめ
YMOでキーボード・シンセサイザー・コーラスを担当しているのが、坂本龍一さん。
東京藝術大学の大学院まで進み、修士課程を修了されています。そのためあだ名は教授です。
お父様は三島由紀夫さんや中上健次さんを担当した、河出書房新社の編集者・坂本一亀さん。
お母様は帽子デザイナー。1952年、東京都中野区生まれです。
大学在学中、友部正人さんの楽曲にピアノで参加。スタジオミュージシャンになります。
りりィさんのバックバンドに所属した流れで、細野晴臣さんと知り合うことになりました。
YMO以外にもソロ、楽曲提供、プロデュース、コラボ、俳優など様々な活動を行っています。
坂本龍一ソロといえば
「千のナイフ」

千のナイフ/坂本龍一
坂本龍一さんのソロデビューは、1978年にリリースされたアルバム「千のナイフ」です。
その表題曲は9分34秒の大作。何年経っても最先端の音に聴こえる名曲と言えるでしょう。
冒頭では、坂本龍一さん自身がヴォコーダーを使って毛沢東の詩を朗読しているのが印象的。
続く大正琴をシミュレート(模倣)した音色や渡辺香津美さんによるギターソロも圧巻です。
坂本龍一さんの「千のナイフ」は、YMO5枚目のアルバム「BGM」でもセルフカバーされています。
「Riot in Lagos」

Riot in Lagos/坂本龍一
「Riot in Lagos」(ライオット・イン・ラゴス)は2枚目のアルバム「B-2 UNIT」収録曲。
リリースは1980年、ダブっぽいサウンドがむちゃくちゃかっこいいです。
エンジニアは、ブリティッシュレゲエの革命バンド・マトゥンビのデニス・ボーヴェル。
タイトルにあるラゴスはナイジェリアの首都です。
アフロビートの創始者フェラ・クティがナイジェリアの出身ということでリスペクト。
「Merry Christmas Mr.Lawrence」

Merry Christmas Mr.Lawrence/坂本龍一
坂本龍一さんといえば映画「戦場のメリークリスマス」のイメージが強い人も多いでしょう。
1983年公開の大島渚監督作。デヴィッド・ボウイやビートたけしさん、ジョニー大倉さんも出演。
個人的に、中学生のとき(母親同伴で)生まれて初めて映画館で観た映画が「戦メリ」でした。
坂本龍一さんとデヴィッド・ボウイはどういうこと?どうして花を食べたの?謎だらけです。
美少年の透きとおりまくったハイトーンの歌声と坂本龍一さんのサントラにも衝撃。
中学生には早すぎたのでしょう。パンフレットをどれだけ読んでも、謎は解けませんでした。
「戦メリ」の謎が知りたくて、映画や音楽にのめり込んだといっても過言ではありません。
ただ坂本龍一さんの「Merry Christmas Mr.Lawrence」は中学生の心にも確かに響きました。
前述の2曲を聴いてもわかるとおり、坂本龍一さんは音楽的な感性が非常に鋭い方です。
「Merry Christmas Mr.Lawrence」はたくさんの人の涙腺を刺激するよう意図された曲でしょう。
大人になって音楽制作の意図がわかるようになっても涙があふれます。