思い出す母の子守唄
「アイヤ節 アイヤ節
今も聞こえる 母の 母の 子守唄」
出典: アイヤ子守唄/作詞:原譲二 作曲:原譲二
主人公のお母さんはアイヤ節を子守唄に歌ってくれていたのでしょうか。
港町で大きくなった子供達はそうやって寝かしつけてもらっていたのかもしれません。
港町に限らず、子供達はその土地土地に伝わるいろんな民謡や子守唄を聴かせてもらっていたことでしょう。
そしてお母さんの歌声と一緒に心の中に記憶として残り、いつまでも輝き続ける宝石となります。
主人公が津軽を後にしようとするまさにこの瞬間に頭をよぎるのは、昔聴かせてもらった母の子守唄でした。
母の背中で聴いていたアイヤ節は、温かい思い出として体に染みついています。
そのため、今もそこで歌ってくれているかのように懐かしいあの声が聞こえてくるのです。
津軽の教え
青森最高峰の岩木山
「寒さや辛さは 我慢の季節
教え見護る 岩木山(いわきさん)」
出典: アイヤ子守唄/作詞:原譲二 作曲:原譲二
津軽の冬は寒く厳しいものですが、それだけではないようです。
名峰の岩木山は、軽やかに凛とした姿で津軽の人々を見守り、またとても重要な教訓を語りかけてきます。
岩木山は津軽富士ともよばれるほどで、その美しさは見るものを惹きつけて止みません。
青森県出身の太宰治も、著作のなかで岩木山の魅力について綴っています。
また、岩木山神社では秋にお山参詣もおこなわれるほど、津軽の人々にとって大切で神聖な場所なのでしょう。
岩木山のその揺るぎない姿からは、なんだかお母さんを彷彿とさせるような温かささえ感じてしまうようです。
岩木山の教えとは
「急ぐな焦(あせ)るな 俯(うつむ)くな
迷い心(ごころ)は 吹き流せ」
出典: アイヤ子守唄/作詞:原譲二 作曲:原譲二
母のような岩木山が、都会の波にもまれる主人公に語りかけてきます。
都会に出てきた頃の希望と、現実の狭間で少し疲れているのでしょうか。
塞ぎがちな心にも、岩木山はいつものように動じず、大らかに道を示してくれるのです。
津軽生まれの主人公に、さながら母のように諭して津軽生まれの粘り強さを思い出させているかのようです。
お国訛りの子守唄
「お国訛りは 母の 母の 子守唄」
出典: アイヤ子守唄/作詞:原譲二 作曲:原譲二
主人公は都会に出て人々の話し言葉と自分の方言とのギャップに驚いたかもしれません。
ときにはお国訛りをバカにされることもあるでしょう。
そうやって試行錯誤して都会に順応していく中で、ふと頭をよぎるのはやはりお母さんの子守唄です。
都会ではなおさらお国訛りが愛しく感じるでしょう。都会に出て初めてお国訛りに気付いた可能性さえあります。
そんななかで郷里の方言を聞くと、誰でもほっとするのではないでしょうか。
それがお母さんの子守唄と一緒に蘇ってくるならなおさらです。
優しく見守ってくれるお国訛りのお母さんとの大切な時間は、誰にとっても忘れることのない原風景となります。
津軽の美しさは明日への希望
「太棹(ふとざお) 三味(しゃみ)の音(ね) 道連れに
明日に望みの 花よ咲け」
出典: アイヤ子守唄/作詞:原譲二 作曲:原譲二
アイヤ節は、津軽三味線と歌い手の互いに独特な旋律が何ともいえないハーモニーを生み出します。
「太棹」とは、津軽三味線にも用いられる太い棹のことです。
太棹の三味線はバチを叩きつけるように弾くと迫力のある大きな音が出て、深みや重みを表現できます。
そういった津軽三味線のような勢いと重厚感をもって未来へと歩を進める決意が感じられるような一節です。
「望みの花」は、津軽で育んだしなやかな心を胸に自分の才能を開花させようという気概のあらわれでしょうか。