ダークな雰囲気と儚い世界観

DUSTCELLは2019年に結成した2人組の音楽ユニットです。

主に楽曲の制作を担当するMisumiのアンモラルで儚げな雰囲気が特徴。

まるで小説を読んでいるかのように、聞いている人を惹きつけてやみません

今回のTOUBOUでもダークな世界観たっぷりに、何か考えさせられる楽曲となっています。

MVストーリーチックな展開になっており、その世界観を目にすると深く記憶に残ることでしょう。

今回はこちらのDUSTCELLのTOUBOUの歌詞について意味を考察していきます。

是非最後までお読みいただければ幸いです。

悪魔に魂を売る意味とは

闇に包まれる教会

MVでは黒地に赤い文字でユニット名が表示されるところから始まります。

ゴスペルの風の音楽に包まれ、教会の内部のような場所でなんとも荘厳な雰囲気です。

突如として曲調が不気味なものに変わり、やがて教会が音楽と共に闇の中に消えていきます。

繰り返されるベースラインが独特なサウンドを生み、次の展開へと皆の心を誘うようです。

ボーカルのEMAから発せられる、力強い歌声が表現する世界観とマッチしています。

汚れて朽ちていく者たち

俺の前行く者達全てが
汚れて 朽ちて 泥に足取られ
欲深な悪魔に魂を売り
底で 暗闇で 煙となれ

出典: TOUBOU/作詞:EMA 作曲:EMA,Misumi

俺の前をいく全ての者たちとは誰のことなのでしょうか。

文脈から考えると複数の人間が考えられます。

後半に暗闇で煙になれとの表現から強い悪意があるのでしょう。

煙になるとは恐らく消えてなくなって欲しいということ。

何か恨みのようなものを感じます。

煙になる前には”汚れ、朽ち、泥に足取られ”との表現です。

通常朽ちた人間が足を取られることはありません。

朽ちた後に何らかの形で、再び歩き出したところで足を取られるしかないでしょう。

さらに足を取られた人は魂を悪魔に売り渡し、その後に煙になるのです。

なんという哀れな最後でしょうか。

このような最後を迎える理由が、ただ”俺”の前をいったという理由ではないでしょう。

この後の歌詞に注目です。

分厚い仮面をつけたものとは

奈落の底から見上げるのは誰

意志の弱い者達から崩れ
奈落から這い上がる俺を見る

出典: TOUBOU/作詞:EMA 作曲:EMA,Misumi

意志の弱い者たちとは誰のことを指すのでしょうか。

恐らく”俺”の前行く者たちの中にも個性があるのでしょう。

その集団の中でも意志の弱い者がいるのです。

そしてその者たちから崩れていく。

一方”俺”は奈落から這い上がっています。

奈落とは元々仏教の言葉で地獄のこと

転じて、もう行き詰まっていて底がない状態を指します。

そのような場所から”俺”は這い上がっている。

そして、這い上がっている”俺”をながめているのは意思の弱い者たち。

これは立場が逆転していることを表しているのでしょうか。

彼岸で騒ぐ馬鹿ども

ダサくて分厚い仮面を付けた
彼岸で騒ぐ醜い馬鹿共

出典: TOUBOU/作詞:EMA 作曲:EMA,Misumi

ダサくて分厚い仮面とはどのような仮面なのか。

本来仮面は厚くても薄くても素顔を隠すという機能は変わりません。

つまりここでいいたいのは、物質的な顔を隠すのではなく心を隠すこと。

本音を隠し、取り繕い、周りに本当の自分を見せない

自分は安全なところから綺麗ごとばかり並べ立て、相手の上げ足をとって批判ばかり。

そんな人間は確かにダサいといえます。

彼岸で騒ぐとは恐らくそうした、口だけの人間を指しているのではないでしょうか。

そうして考えると、冒頭の”俺”の前行く者の正体が分かってきたような気がします。

恐らく、自分の進む道の前にいるという意味ではなく、自分の人生に立ちふさがる人

自分の人生にとって邪魔な存在を苦々しく思っているのではないでしょうか。

我が道を進もうとすると、それを阻もうとする人間があらわれます。

そうした人間に限って、ずる賢く狡猾に周りと手を組み責め立ててきます。

そのような行いも含めてダサいと比喩をしているのでしょう。

自分の意見であれば、身につまされることもあります。

しかし、集団になるとまるで自分が力を得たかのような振る舞いをしてしまう。

そんな人間たちを馬鹿共と卑下していると考えるとしっくりきます。