愛はかげろう つかの間の命
激しいまでに 燃やしつづけて
別れはいつも 背中合わせに
人の心を ゆらして
出典: 愛はかげろう/作詞:三浦和人 作曲:三浦和人
サビで歌うのはゆらゆら揺れてふっと消えてしまうかげろうに例えたふたりの愛と別れです。
かげろうが立ち昇る前には燃えるような愛があったのでしょう。
激しく燃えた愛の前には運命的な出逢いがあったのかもしれません。
出逢ってしまったふたりはお互い求めていたものを相手に見つけたのでしょうか。
燃え上がったのはふたりがそれまで孤独だったからでしょうね。
愛と別れが背中合わせと歌っているのは、出逢ってから別れるまでが短かったのでしょうか。
ふたりの愛はあっという間に消えてしまい、そのあとにはかげろうが揺れている。
そのかげろうが消えてしまえばふたりの思い出も消えてしまう。
だけど人は愛をきれいさっぱり忘れてしまうほど単純ではありません。
かげろうは短くも激しく燃えた愛の名残で、愛を忘れられない人の心もゆらゆらと揺らすのです。
別れの場面にはタバコを
「幸せ」ではなくて「倖せ」を選んだ理由
別れ言葉を 口にするあなたは
いつもとちがって やさしすぎた
はき出すタバコの 煙の影が
教えてくれた つくり言葉と
熱くいだかれた 日々を
倖せと言えば 悲しい
出典: 愛はかげろう/作詞:三浦和人 作曲:三浦和人
ここは悲しい別れの場面ですね。
別れを切り出された彼女からすると辛すぎる場面でもあります。
あんなに愛し合っていたはずの彼の態度に、彼女は敏感に別れを察知するのです。
男のずるさを描いたところは、男性からするとドキッとするかもしれません。
どうやって彼女に別れを切り出そうかと考えてみたけれど、できれば穏便に済ませたい…。
そう上手くいくはずはないのですが、そんな気持ちがいつもより優しい態度になって現れたのでしょう。
彼女を悲しませたくないというよりは責められたくないという気持ちも見えるような気がします。
タバコはいろいろな場面に小道具として登場しますが、ここでは自分の嘘をごまかすために咥えているようです。
はき出した煙は、自分の言葉が嘘で本心ではないことをカモフラージュするかのようですね。
それでも彼女には別れたいのだということをすぐに見抜かれてしまっています。
去っていった彼との思い出は甘いものであってほしいはずですが、別れはやはり辛いものです。
「幸せ」ではなくて「倖せ」という言葉を使ったことで、より彼女の悲しみが強調されているように思います。
かげろうが消えた後に残るもの
悲しみを描くには冷静な目線も?
愛はかげろう さめきった愛の
過ぎさる後に 残るものは
いつも女の 乾いた涙
さまよい歩く 迷い子
出典: 愛はかげろう/作詞:三浦和人 作曲:三浦和人
ここで歌われているのは愛のないまるで砂漠のような世界ですね。
激しく燃えた愛も終わってしまえば、ふたりが出逢う前よりも寂しく孤独になってしまいます。
炎が消えて熱い心も嘘のように消えてしまい、あの窓ガラスと同じように心は冷たいのです。
乾いていると表現した涙は悲しいのに空虚な彼女の心の中を表しています。
傷ついた心を抱えたままあてもなくさまよう女性の姿を、悲しく盛り上がるメロディーで歌うパートですね。
女性に寄り添った歌詞を書いた三浦和人の優しさが見えるところだと思います。
ただ、悲しみを描くには優しさだけではなくて冷静な目線も必要なのかもしれません。
失恋した本人になりきるのではなくて、悲しんでいる人を少し離れたところから見るような目線です。
人の心を揺さぶる切ないメロディー
無償の愛と男女の愛
最後にもう一度繰り返すサビの部分は、切ないメロディーで聴く人の心を揺さぶるようです。
激しく燃える愛に人は憧れるかもしれませんが、その後に訪れる悲しい別れはより辛いものになるでしょう。
愛と別れが背中合わせになっているとしたらとても不安になってしまいます。
いつ別れがくるかもしれないと思えば、いま目の前にいる相手を強く求めることになるのでしょうね。
無償の愛は惜しみなく与えるものですが、男女の愛は与えるだけではなく相手の愛も求めるのです。
強く求めすぎると相手は重荷に感じることもあるかもしれません。
ちょっとしたことでふたりの間に見えない溝が生まれ、気持ちが離れてしまうこともあるでしょう。
揺れる悲しい気持ちや激しく燃えた愛を、かげろうに例えた三浦和人のセンスが素晴らしいなと思います。
切なく悲しい物語を歌った雅夢
時代の流れに飲み込まれた?
フォークデュオとして活動していた雅夢ですが、「愛はかげろう」にフォークソングのイメージはありません。
そもそもジャンル分けすることにあまり意味はないのかもしれませんね。
続いてリリースした「悲しくて」もいい曲でしたが、これも前作と同じく悲しい雰囲気の曲です。
切なく悲しい物語を歌うことが彼らの持ち味だったのでしょうね。
三浦和人の声やふたりの感性にも合っていたのだと思います。
派手で華やかなものがもてはやされるようになった80年代に雅夢独特の世界は異彩を放っていました。
しかし当時の音楽シーンで彼らの歌はだんだんと埋もれてしまい忘れられていったのです。
時は流れても「愛はかげろう」を聴くと胸がキュンとなる人たちはたくさんいるでしょう。
切なく辛い愛を歌ったいつまでも心に残る名曲なのは間違いないと思います。