1969年リリースのシングル曲

青江三奈さん最大のヒットソング!

青江三奈【池袋の夜】歌詞の意味を徹底解釈!夜の池袋には何があるの?どうしたら幸せを逃さず済んだのの画像

【池袋の夜】は、1969年に青江三奈さん15枚目のシングル曲としてリリースされました。

当時のヒットチャートで150万枚を超える、青江三奈さんの数ある楽曲のなかでも最大のヒット曲です。

どうして、これほどまでにヒットしたのでしょうか?

それは、確かな歌唱力と圧倒的な存在感も大きな要因なのだと思うのです。

それに加えて、当時の青江三奈さんの人気が相当なものだったことも挙げられるでしょう。

これまでの、青江三奈さんのヒット曲はこちらです。 

1966年に『恍惚のブルース』でメジャーデビューし、80万枚を売り上げるヒットとなる。1968年に冒頭部分の「色っぽい吐息」が有名な『伊勢佐木町ブルース』が100万枚、『長崎ブルース』が120万枚をそれぞれ売り上げていずれもミリオンセラーを記録。

出典: https://ja.wikipedia.org/wiki/青江三奈

この3つの楽曲が、社会に及ぼした多大な影響があっての【池袋の夜】の大ヒットなのだと思います。

リリース当初、既に日本になくてはならない存在になっていたのでしょう。

まさに、国民的人気歌手だったのです。

当時は、日本の高度成長期

日本の経済がどんどん発展していき、池袋の繁華街もさぞ賑やかだったことでしょう。

そんな街の路地で、ひっそりと泣いている女性を歌ったのが【池袋の夜】という曲です。 

1960年代の池袋

【池袋の夜】が流行った、1960年代の池袋の街はどんな街だったのでしょうか。

青江三奈さんが、クラブ歌手役で出演する映画「夜をひらく 女の市場」で感じることができるでしょう。

この映画はアクション映画で、青江三奈さんがクラブ歌手役でこの楽曲を披露しています。

現在、多くの映画館や劇場、娯楽施設が集まる池袋

それはこの時期から発生していったのでしょう。

当時、池袋に数多の映画館やキャバレー、ナイトクラブなどがありました。

もっと歴史をたどると、終戦後には闇市が広がり人々の生活の支えとなっていたのです。

戦後から盛り場として発展してきた池袋の姿が見えてきます。

作詞吉川静夫さん。

デビュー後にヒットした【長崎ブルース】の作詞もされています。

作曲渡久地政信さん。

青江三奈さんの【夜の瀬戸内】などの楽曲を手掛けています。

美しい旋律にうっとりしてしまうことでしょう。

会いたい人

押し寄せる寂しさ

あなたに逢えぬ 悲しさに
涙もかれて しまうほど
泣いて悩んで 死にたくなるの

出典: 池袋の夜/作詞:吉川静夫 作曲:渡久地政信

主人公の、想い人への恋焦がれる気持ちが伝わります。

なぜか逢えなくなってしまった、想い人。

想い人、と書いたのはこれが恋人かどうかはわからないからです。

片想い、両思い、道ならぬ恋などいろいろ考えられるでしょう。

しかし、主人公は絶望するほど泣いているのです。

それは、愛する人に逢えないからにほかなりません。

何があったのかはわかりませんが、とても悲しいことだけは確かですね。

当時は携帯電話などもないですから、すれ違う恋人達は無数にいたのではないでしょうか。

そんな満たされないやるせなさを抱えて、主人公は一人で池袋の街を歩いています。

寂しい自分だからこそ、賑やかな盛り場である池袋に一人現れた主人公なのでしょう。 

一人でも大丈夫

せめないわ せめないわ
どうせ気まぐれ 東京の夜の池袋

出典: 池袋の夜/作詞:吉川静夫 作曲:渡久地政信

主人公は、自分の想いを満たしてくれない相手を少し恨んでいそうです。

でも、敢えてそこはぐっと我慢をし、「あなたのことを怒らない」と気持ちを落ち着けているのでしょう。

裏切った人を許すのは大変なことです。

そういう時は、「許す!」と決めてしまった方が気が楽になるのかもしれません。

私はボロボロだけれど、池袋の街も適当にやってるからこれで良い。

今の私と池袋の街は、とてもお似合いなのです。

そのように考えることで、自己解決を図っているのではないでしょうか。

またそんな主人公がいじらしくて、聴いてる方はせつなくなってしまうフレーズだと思うのです。

何処へ行くあてもなく、夜の池袋を彷徨う主人公の寂しい姿が見えてきますね。 

踏み越えて

後悔先に立たず