1968年リリース 日本レコード大賞受賞!
魅惑のハスキーボイス・ビブラートの女王!
今回ご紹介する、【伊勢佐木町ブルース】は1968年にリリースされた青江三奈さんのシングル曲です。
‘青江三奈’という歌手名は、小説「恍惚」の主人公から名づけられたそう。
デビュー前から、百貨店美容部員を経てナイトクラブで歌手として活躍されていた青江三奈さん。
1966年に歌手として【恍惚のブルース】でメジャーデビュー&80万枚ヒットを果たします。
ハスキーボイスと伸びやかなビブラート、ナイトクラブで培ったリズム感とただならぬ色気。
強烈な存在感をたたえ、青江三奈という日本を代表する歌姫が誕生しました。
その後ヒット作には恵まれなかったのですが、昭和43年に【伊勢佐木町ブルース】が100万枚の大ヒット!
曲中に入る「アー」という吐息がとても斬新で、彼女の有り余る妖艶さに日本が夢中になったのでしょう。
日本レコード大賞歌唱賞や二度目の紅白歌合戦出場につながり多くの功績も残します。
一億総ブルース計画!ご当地ソングの女王!
青江三奈さんはご当地ソングの女王とも言われています。
この楽曲の舞台である、横浜市の伊勢佐木町は繁華街として有名でした。
現在ではこの街の伊勢佐木モールに、この曲と青江三奈さんを称える歌碑を見ることができます。
青江三奈さんは【伊勢佐木町ブルース】の他にも数々の「◯◯ブルース」を歌われていますね。
- 札幌ブルース(昭和43年)
- 長崎ブルース(昭和43年)
- 盛岡ブルース(昭和54年)
- 大阪ブルース(昭和58年)等々
この「ブルース」というのは音楽形式を指すのではなく、心象風景を意味していると思うのです。
つまり、ブルース的な「哀愁が漂う心模様」のことをブルースと名づけているのでしょう。
恋に生きる喜びと哀しみを、ブルースという世界で表現しています。
ここは横浜
海風
あなた知ってる 港ヨコハマ
街の並木に 潮風吹けば
出典: 伊勢佐木町ブルース/作詞:河内康範 作曲:鈴木庸一
舞台は、神奈川県横浜市中区にある街「伊勢佐木町」。
この街は、明治時代から商業の街として栄え、興行なども行われる歓楽街へと成長していきます。
大正時代には、東京や浅草等と並ぶ大繁華街へと発展しました。
戦争で一時は占領されますが、1950年代から本格的に復興します。
場所柄、港に隣接していることもあり占領軍の文化が色濃く流れ込んだ横浜の街。
キャバレーやナイトクラブが盛んでした。
そこに、アメリカの音楽であるJAZZやブルースも入ってきたのです。
伊勢佐木町とブルースの組み合わせは、街の歴史から見ても最高の組み合わせだったのでしょう。
日本有数の歓楽街であった伊勢佐木町は、戦後外国文化が流入するハイセンスな土地だったのです。
そして、歓楽街が醸し出す怪しさに満ち溢れた雰囲気だったことも想像できます。
当時の街の様子は、黒沢明監督の映画「天国と地獄」でも味わえます。
誘拐犯が伊勢佐木町で麻薬を手に入れるシーンが、当時の治安の悪さを物語っていると思うのです。
そんな場所で出会う、男と女は秘めた事情があるのではないでしょうか。
宿命
花散る夜を 惜しむよに
伊勢佐木あたりに 灯がともる
恋と情けの ドゥ ドゥビ ドゥビ
ドゥビ ドゥビ ドゥバ 灯がともる
出典: 伊勢佐木町ブルース/作詞:河内康範 作曲:鈴木庸一
前奏から入る吐息、「アー」は作詞家の河内康範さんから青江三奈さんへのリクエストでした。
お色気と揶揄もされたそうですが、あまりにも完璧なので、音楽であるということを忘れそうなほど。
作詞家の河内康範さんは、脚本家でもあり作家、評論家と多方面に活躍されています。
彼の作った歌世界はどんなものだったのでしょうか。
二人の男女が、港街でひっそりと出会う。
1分、1秒過ぎていくのが哀しいと思っているほど、主人公は相手の男性が好きなのでしょう。
当時、日本有数の繁華街であった伊勢佐木町は夜が本番だったのではないでしょうか。
街の灯りがともるほど、暗くなってから夢は現実として存在するのです。
主人公も、そんな夢の国の住人の一人なのではないでしょうか。
昼は、街のどこかでひっそりと息を潜め、夜に華開く。
恋に生きる女性。
それは夜の歓楽街で働く、多くの女性を代表しているのではないでしょうか。
みたことない
遠くに聞こえる
あたしはじめて 港ヨコハマ
雨がそぼ降り 汽笛が鳴れば
出典: 伊勢佐木町ブルース/作詞:河内康範 作曲:鈴木庸一