eastern youth『夏の日の午後』
3ピースロックバンドのeastern youth。
彼らの『夏の日の午後』は繰り返されるサビが特徴的な、渋い楽曲です。
今回はこの楽曲の歌詞を読み解いていくのですが、便宜上それぞれの歌詞に番号をつけて解説していきます。
この理由は記事の最後で明らかになりますので、ぜひ最後までご覧ください。
早速解説スタート!
①刻まれる罪の意識
神様
あなたは何でも知っていて
心悪しき人を打ち負かすんだろう
でも真夏の太陽は罪を溶かして
見えないが確かに背中にそれを焼き付ける
出典: 夏の日の午後/作詞:吉野寿 作曲:吉野寿
日本では神様を信じる人の方が少ないかもしれませんが、何かが起こった時ほどその存在を感じるものです。
その「何か」には良いことも、もちろん反対の悪いことも含まれます。
この楽曲における「何か」はおそらく後者。
主人公はきっと、何かしら悪いことをしてしまった…つまり罪を犯してしまったのでしょう。
それはおそらくまだ、主人公以外の何者も知らない事実です。
しかしこの世界に神様が存在するならば、その罪のことを既に知っているに違いありません。
そんな神様は何も言わずともすべての事情を察し、すべての事実を理解するのでしょう。
そして人々の目には見えない存在ながら、罪を犯した人のことを放っておいてなどくれません。
犯した罪は消えない傷跡のように、その人に深く刻み込まれます。
言い換えれば、それはつまり「罪悪感」。
主人公はその感情を、神様が人々に与えているものと感じています。
神様はそれを与えることで、罪人を秘かに裁き続けているに違いない。
ということでしょう。
②真夏の太陽の下で
蝉時雨と午後の光
まだ生きて果てぬこの身なら
罪も悪も我と共に在りて
出典: 夏の日の午後/作詞:吉野寿 作曲:吉野寿
引用部分冒頭にある「蝉時雨」とは、夏の昼下がりによく聞く蝉の大合唱のこと。
これだけで、汗がぽたりと落ちるような暑い夏の日が思い浮かびます。
前半の歌詞で、神様から罪悪感を刻み込まれた主人公。
その感情の重さに押し潰されそうになっているのでしょうか。
しかし引用部分3行目にかけて綴られている通り、まだ死ねません。
であれば、死ぬまで罪を背負って生きていこうと、覚悟を決めたのでしょう。
死ぬまで罪と共に生きる、ということは、一生をかけて罪を償うということ。
もちろん法で裁かれ、刑務所で過ごすことも「罪を償う」ことに変わりありません。
…が、神様が望むのは「一生罪の意識を持ったまま生きていくこと」ではないでしょうか。
自分が犯した罪の重さを自覚し、それを忘れずに生きていくことこそ本当の償いになる。
神様が主人公に罪悪感を抱かせた根拠がこれでしょう。
犯した罪とは?
ここから推測できるのは、主人公が犯したという罪の内容。
冒頭部分の歌詞では、主人公が法を犯したかのようにも捉えられましたね。
しかしここで引用した部分を読んでみると、なんだかそこまで大袈裟ではないようにも感じられるのです。
主人公の罪。それはきっと、誰かの気持ちを裏切ってしまったこと。
その誰かの心に残してしまった傷の深さと同じくらい、主人公は深い罪悪感を抱いているのでしょう。
場面は切り替わって…
③土砂降りの中で
俄雨と濡れた舗道
傘持たず走る街の角
追い付けない
追えば逃げる影に
出典: 夏の日の午後/作詞:吉野寿 作曲:吉野寿
冒頭の「俄雨」も、この楽曲の舞台である夏を連想させるワードですね。
先程までは蝉たちが大合唱する真夏の午後の様子が描かれていましたが、ここでは一転。
急な雨を予測していなかった主人公は当然、傘など持っていません。
主人公の全身は、上から落ちてくる雫と足元の舗道にぶつかって跳ね返った飛沫でびしょ濡れです。
それでも走り続ける主人公。帰り道を急いでいるだけではないかもしれませんね…。
主人公が走り続ける理由。
それは引用部分後半にある、見知らぬ影を追っていたから。
この影の正体は、まだ明かされていません。
しかし主人公が雨も厭わず必死に追い続けるくらいですから、どうしても追い付きたい相手なのでしょう。
さあ、その相手とはいったい誰なのか…。
ここから先の歌詞で明らかにしていきましょう。