主人公は、横浜の港に来るのがはじめてだそうです。
当時は今のように、コンテナ輸送で整備された港ではありませんでした。
外国の貨物船は過渡期で、昔ながらの人足達とクレーンを用いて荷を引き上げていました。
1960年代〜70年代のことです。
多くの外国人や雑多な人々が働く活気と怪しさがある場所だったのでしょう。
主人公がそのような場所に、はじめて男性とデートで向かった。
すると雨が降ってきて、港の物悲しさがよりいっそう色濃くなるようです。
船が去りゆく、汽笛の音も二人の恋を予感させるよう。
「そぼふる」とはどのような雨なのでしょうか。
調べると、しっとりと降る、とあります。
霧よりも少し重い、でも濡れるほどではない感じが色っぽいですね。
想い人
波止場の別れ 惜しむよに
伊勢佐木あたりに 灯がともる
夢をふりまく ドゥ ドゥビ ドゥビ
ドゥビ ドゥビ ドゥバ 灯がともる
出典: 伊勢佐木町ブルース/作詞:河内康範 作曲:鈴木庸一
主人公のお相手はどのような方だったのでしょうか。
それは描いてありません。
主人公でさえも、どのような人かはなかなか掴めません。
当時の状況と、伊勢佐木町をキーワードに探っていくのが良いのではないでしょうか。
先程、主人公は伊勢佐木町で夜働く女性なのではないかとかきました。
その理由は、この場所が日本屈指の繁華街であったことにあります。
そして当時の治安の悪さなどから考えて、普通の奥様や女性が夜にデートをしないのではないか。
という考えに至っています。
となると、お相手の男性は、主人公のお客さんから恋人になった人なのかもしれません。
もしくは、主人公の複数いるお客さんの中でも自分が好意を寄せている人ということもあります。
主人公は、この伊勢佐木町と一体となる存在として描かれていると思うのです。
それは、この街自体がブルースに表現されるように出会いと別れを無数に生み出す街だったから。
ここで生み出される夢は、伊勢佐木町という街と人間が創っているのです。
理由
夜の風情
あなた馴染みの 港ヨコハマ
人にかくれて あの娘が泣いた
出典: 伊勢佐木町ブルース/作詞:河内康範 作曲:鈴木庸一
ここで、本題に入りました。
タイトルにもあるように、娘が泣いているのは何故なのか、ということです。
主人公が想っているお相手の男性は、港ヨコハマに馴染みがあるとありますね。
単純ではありますが、港で働いている人なのではないでしょうか。
もしくは仕事ではなくて遊びで馴染みがあるとなると、遊び慣れた人なのでしょう。
港で働いている遊び慣れた人、ともとれます。
泣いている娘は、わざわざ隠れて泣いているのです。
彼を好きでしょうがなかったのに、他の女性といるところを目撃してしまったのではないでしょうか。
その他の女性が、主人公のことなのです。
罪悪感も感じつつ、港をデートしている主人公の姿を想像してみました。
船乗りというと、体格もよくとてもかっこ良さそうなイメージです。
船に乗らなくても、港で働く人々は肉体労働。
商人の方は、外交的で素敵な人が多そうです。
男前な港の男達を待ち構える、選りすぐりの美女達。
そんな街をとりまく構図も、浮かんできそうですね。
街の色合い
涙が花に なる時に
伊勢佐木あたりに 灯がともる
恋のムードの ドゥ ドゥビ ドゥビ
ドゥビ ドゥビ ドゥバ 灯がともる
出典: 伊勢佐木町ブルース/作詞:河内康範 作曲:鈴木庸一
そして、その娘というのは一人ではなく、毎夜たくさんの娘が泣いていたに違いありません。
それほど多くのドラマが生まれる街が、繁華街や港というものなのではないでしょうか。
人の数だけ恋がある。
恋の数だけ涙がある。
涙の数だけドラマがある。
その醸成場が伊勢佐木町と港ヨコハマだったのではないでしょうか。
伊勢佐木町の灯りは、ただの灯りではないのです。
幾つもの恋の幻を浮かび上がらせる、幻灯機のような役割をしていたのでしょう。
おわりに
当時の伊勢佐木町は、まさにブルースの心を体現している、この歌の舞台にふさわしい土地ですね。
時と場所と人物が、ぴったりとあった傑作といえる楽曲なのではないでしょうか。
日本中が沸いた、【伊勢佐木町ブルース】。
青江三奈さんの数あるブルースシリーズの中でも、至玉の一曲と言えそうです。
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日本を代表する歌姫‘美空ひばり’さんの記事はいかがでしょうか。
【伊勢佐木町ブルース】と同じく、港が舞台になっている【港町十三番地】です。
打って変わって明るい曲調のこちらの楽曲。
是非お楽しみください!