大ヒットまでの長い道のり
総力戦でラブバラードを…
1976年、ビクターレコードのディレクターがスペインのマジョルカで開催される「マジョルカ音楽祭」を知り、音楽祭参加のために楽曲を制作することを決意する。それまでにないスケールの大きな楽曲が製作されることとなり、歌手として松崎に白羽の矢が立った。
出典: https://ja.wikipedia.org/wiki/愛のメモリー_(曲)
松崎しげるさん、1970年のデビューから約6年後に訪れたチャンスでした。
CMタイアップ曲などもありましたが、ここまで大ヒットには恵まれていません。
歌唱力にプラスして、聴く人を引き付ける声量はすでに認められていました。
松崎しげるさんの、全開パワーを支える歌に巡り会うことが出来なかっただけのこと…。
パワフルに訴えかけるけれどその中にも優しさがあるラブソング作成の、プロジェクトが進行開始しました。
インスパイアは歴史ある歌集から
ラブ・バラードが最適とディレクターは判断し、作詞をたかたかし、作曲を馬飼野康二に依頼する。たかは『万葉集』から、藤原鎌足が采女安見児を得たときに詠んだ歌「われはもや安見児得たり皆人の得難にすとふ安見児得たり」を基にした。
出典: https://ja.wikipedia.org/wiki/愛のメモリー_(曲)
教科書に出てくる万葉集ではなく言葉のプロが選ぶ歌は一目見ただけでは理解できません。
現代語訳も確認しておきましょう。
私は安見児を得た、皆が手に入れられないと言っていたあの安見児を得たのだ
出典: https://ja.wikipedia.org/wiki/藤原鎌足#和歌
歌の読み仮名は『われはもや やすみこえたり みなひとの えかてにすとふ やすみこえたり』。
『安見児(やすみこ)』は女子の名前です。『得た』は自分のモノにしたことを意味します。
周囲からは絶対にあり得ないと言われていたけれど、安見児を自分のモノにすることが出来た!
そんなプライベートの喜びを歌にしました。
『万葉集』の1首は正室・鏡王女に送った物で、もう1首が鎌足が采女安見児(やすみこ)を得たことを喜ぶ歌である。 采女とは各国の豪族から女官として天皇に献上された美女たち。天皇の妻ともなる資格を持つことから、当時、采女への恋は命をもって償うべき禁忌であった。鎌足の場合は、おそらく天智天皇に覚えが良かったことから、特別に采女を賜ったのであろう。
出典: https://ja.wikipedia.org/wiki/藤原鎌足#和歌
当時のことなので正室が別にいます。今回の相手は第二婦人のようですね。
今なら公にはできない間柄の二人の愛を歌にしたなんて…と怒りを買うこと間違いなしです。
ここでは細かいことを抜きにして、歌の素晴らしさに迫りたいと思います。
『采女』はもし恋に落ちたなら、男子が命を捧げることにもなるような選ばれた女子です。
ビジュアルのレベルももちろん高め。とんでもない身分違いの美しい女性を賜るなんてことは、めったに無いことです。
藤原鎌足が舞い上がるのも無理はありません。
万葉らしく、鎌足の二重の喜びが素直に表現されている。すなわち、恋を成就した歓びと、天皇が自分だけに特別な許可を与えたという名誉である。
出典: https://ja.wikipedia.org/wiki/藤原鎌足#和歌
スペシャルのそのまた上をいくような、神的スペシャルな出来事に詠んだ歌はテンションも上がりまくり。
歓喜と栄光が一度にやってきました。ガッツポーズももちろん2回出たのでしょう。
『美しい人生』『かぎりない喜び』は、ここから生まれました。
飛鳥時代の男子だって、包み隠さず喜びを表現することがあるんですね。
しかも当時の政治を司るエリート男子の愛が、しっかりと万葉集に記されているなんて…。
その歌は1200年を経ても冷めることなく、熱いラブバラードになりました。尊い出来事です。
現代なら、結婚する相手をこんなにもストレートに自慢してしまったら、ドン引きされるのが心配です。
でもこんなに素直に喜んでくれるなら、絶対に幸せにしてくれるはずと安見児さんは思ったでしょうね。
初めは微笑みで愛を
メロディーは映画主題歌から♪
万葉集のプライベートな二人の愛ある歌で、歌詞は完成しました。
そして愛を歌い上げるメロディーにも秘密があります。