そもそも自分は「人間ではない」かのような発言です。
ここからは「自分が異質であるという思考」や「疎外感」が感じ取れます。
頑張って周囲に合わせて「人間」らしく振る舞っている。
でも、理想とする「人間」になりきれないから苦しくなるのです。
ではなぜ、無理に「人間」らしく見せようとしたのでしょうか?
後ろ指さされたくない、仲間はずれにされたくない、今の自分が愛せない。
さまざまな理由が考えられます。
でも、もうそんな体裁は捨ててしまおうと歌っていますね。
「死」を覚悟した今、「悩み」すら不要となったのです。
固定概念が生み出した「正義」
やめればいい人間のフリも
人々はTVに殺られ
優しさなく生きられない
やめればいい人間そのもの
出典: 平成/作詞:来夢 作曲:来夢
なぜTV…テレビが人を殺めるのか?
恐らく、「テレビに固定概念を植え付けられた」という意味でしょう。
テレビで報道される内容の信憑性を疑ったことはありますか?
必要な情報を余すことなく報道していると思いますか?
どこの国でも、報道される情報には多少なりとも偏りがあるものです。
ただ受け身になってばかりいては、「自分の頭で考えること」を忘れてしまいます。
インターネットを通して様々な情報を閲覧できる現代。
英語を学べば様々な国の視点で世界情勢を把握することもできます。
また、バラエティ番組などで「良し」とされている人間性が必ずしも「正義」とは限らないでしょう。
そしてこの楽曲の主人公は、こうした固定概念に馴染まない自分の個性に苦しんでいるようです。
「物差し」とは?
歪なその物差しで
僕の心計るのなら
人間じゃなくていい
一緒に死のう
日も昇るだろ
この命ひとついなくなっても
出典: 平成/作詞:来夢 作曲:来夢
世間の固定概念という名の「物差し」。
それと自分を照らし合わせ、歪んでいると言われたのかもしれません。
でも、主人公から見ればそもそも「物差し」が歪んでいます。
また、その「物差し」は「人間らしさ」を測るものであるようです。
「物差し」に比べて歪んでいる主人公は、「人間」ではないと評価されました。
ならいっそ、「人間」じゃなくたっていい。
怪物でも悪魔でも何とでも言え。
そう考えたのではないでしょうか?
そして、「死ぬ」ことで「人間」をやめようとしています。
一緒に「死」を選ぶ
一緒に死のうよ
その命が
足掻こうとも意味はない
一緒に死のうよ
生きたくても
生きられないこの街で
出典: 平成/作詞:来夢 作曲:来夢
今まで必死に足掻いてきたのでしょう。
でも、どれだけ足掻いても現状が良くなることはなかった。
だから無意味だと歌っているのです。
生きる意味を失った人々へ、「死」を促しています。
「一緒に」というところがミソですね。
この促し方なら孤独に感じません。
「平成」という時代
助けてと叫んでも…
君の声なんて届くはずない
この国には余裕はない
民主主義という集合体の小さな息
君が吸う酸素の予備はない小さな星に
君が生きる余裕は此処にない
小さな痛み
出典: 平成/作詞:来夢 作曲:来夢
心にグサッと突き刺さるフレーズです。
先ほどまで「いくら願っても叶うことはない」と歌っていました。
でも、叶わないのには理由があるのです。
そもそも、この日本という国自体に余裕がない…。
冒頭でお話ししたように、「平成」という時代は様々な困難がありました。
高度経済成長や人口増加に終止符が打たれ、飽和状態の国家。
新年号「令和」になり、乗り越えるべき問題は山積みです。
その中で一人が大声で心の痛みを訴えたとしても、周囲だって精一杯なのだから助けられない…。
そう表現しているのではないでしょうか?
何を正義とするのか
学び働き死ぬ定め
誰の正義に従う
出典: 平成/作詞:来夢 作曲:来夢
真面目に勉強して、良い大学を出て、良い職業に就き、老後を迎えなさい。
この考え方こそが楽曲で歌われている、固定概念に適応した「人間」の姿なのかもしれません。
でも、主人公はそれに疑問を持っています。
世間が正義だという「人間」になるのか。
自分が正義だと思う道を選び「人間でない」といわれるのか。
2つの選択肢の間でもがいているのでしょう。