石井明美の「CHA-CHA-CHA」がリリースされる直前、1986年5月のこと。
聞き慣れない名前の洋楽アーティストが、日本でシングルをリリースします。
イタリアのダンスユニット、Finzy Contini(フィンツィ・コンティーニ)の「CHA-CHA-CHA」。
イタリア、フランス(フランス盤タイトル表記は「Cha Cha Cha」)では、1985年に発売された曲です。
好景気の波に乗り、新たなディスコブームが到来していた日本。
ユーロビートのルーツ
当時も今も、日本でヒットする洋楽といえば米英発のナンバーが中心。
そうした中、突如として日本の音楽シーンを席巻したのが、イタロ・ディスコというジャンルでした。
1980年代前半に台頭し、のちに日本でもブームとなるユーロビートのルーツを形成した音楽です。
フィンツィ・コンティーニの「CHA-CHA-CHA」は、イタロ・ディスコの代表曲の1つでした。
コンピューターの打ち込みを駆使した、シンプルで歯切れの良いテンポ。
シンセサイザーの演奏で繰り返される、エモーショナルでメロディアスな旋律。
キャッチーなテンポと旋律は、日本に根付いていた歌謡曲に通じるものがありました。
イタロ・ディスコもユーロビートも、日本では抵抗なく受け入れられたのです。
世界のロックシーンの変化
ダンスミュージックの台頭
1970年代後半のパンク、1980年代初めのニューウェイブ。
これらのムーブメントが一段落した1980年代半ば、世界のロックシーンは大きく変化します。
反体制のシンボルとして、マイノリティーが支持してきたロックという音楽。
この時期を境に、マジョリティーのためのカルチャーとして認知されるようになったのです。
それは、米国を中心に産業ロックが巨大マーケットを形成したことからも明らかでした。
1985年、反骨精神あふれるロックが影を潜めた隙を突くように、あるアルバムが登場します。
英国のバンド、Dead or Alive(デッド・オア・アライブ)の「Youthquake」。
世界的にヒットしたこのアルバムも、ユーロビートの誕生に大きな役割を果たした1枚でした。
ユーロビートは、その後のハウス、クラブミュージックへと発展することになります。
自給自足の音楽
レコードの音楽に合わせて踊るディスコが生まれたのは、第2次世界大戦中のヨーロッパ。
本格的に発展したのは、1960年代の米国です。
1970年代半ばから、世界的なディスコブームが巻き起こります。
ダンスミュージックの需要を満たしたのは、米国発のファンクやソウルミュージックでした。
しかし1980年代に入ると、米国でのディスコブームは下火に。
ディスコの隆盛を支えたダンスミュージックの供給も、急速にしぼみます。
イタロ・ディスコは、ヨーロッパが自給自足のために生み出した音源だったのです。
ユーロビートが誕生したばかりの1980年代後半。
日本では原曲が輸入されるとともに、日本人歌手がカバーするという形で浸透していきました。
そうした状況は、1990年代に小室哲哉が安室奈美恵らを世に送り出すまで続いたのです。
石井明美に続くカバーも
時代を超えて記憶される曲
「CHA-CHA-CHA」はその後も、さまざまな邦楽アーティストにカバーされます。
「ダンシング・ヒーロー」のカバーシングルでブレイクした荻野目洋子。
1986年12月のアルバム「NON-STOPPER」で、日本語詞などを変えて歌いました。
ちなみに、このアルバムは1987年の年間アルバムチャートで1位を獲得。
さらに、カバーは続きます。
世紀を超えた2001年には、「男女7人夏物語」に出演した大竹しのぶがアルバム「Compassion」に収録。
2012年には、チャットモンチーがシングル「コンビニエンスハネムーン」のカップリング曲に採用しました。
「CHA-CHA-CHA」が、いかに強く人々の記憶に刻まれた曲だったか。
時代を超えて歌い継がれている事実が、それを雄弁に物語っています。
まとめ
実はユーロビートのカバー曲
2018年に大ヒットしたDA PUMPのシングル「U.S.A.」。
原曲は、1992年にイタリア人歌手、ジョー・イエローがリリースしたユーロビートです。
DA PUMPが初めて挑戦したユーロビートのカバー。
「いいねダンス」の振り付けが「ダサかっこいい」と評判に。
OTOKAKEライターがMVの解説を通し、クセになるダンスの魅力を紹介しています。
ぜひ、読んでみてください!