ここで、違和感が生じます。

周りに響くのは雨音だけのはずなのに、主人公は誰かの声の存在を感じます。

まだ夢と現実がごちゃごちゃになっているのかもしれない。

「きっと聞き間違いだろう」と、その声については深く考えませんでした。

この違和感の正体が、2番で明かされます。

蝉時雨の正体

人生における「大切なもの」は、その多くが儚く美しいものです。

そして、そういったものに限って、失ってから初めて大切さに気付くことも多いものです。

取り戻そうと思っても「時すでに遅し」だった物事はありませんか?

そうならないように、「今この瞬間の出来事を大切にして生きる」こと。

ココロオークションというバンドは、今に向き合う重要性を音楽で表現しているように思われます。

これから紹介いたします歌詞では、その重要性が顕著に出ています。

身近な存在だからこそ、当たり前になっていませんか

いつから君は そこに立っていて
同じ歌を 歌い続けてきたの

出典: 蝉時雨 /作詞:粟子真行 作曲:粟子真行

毎日といっていいほど頻繁に会う人の一言一句をおろそかにしていませんか。

聞き慣れたその声の中には、さり気なく大切なメッセージが含まれているかもしれません

そして、その声がいつまでも聞けるという保障などどこにもありません

この主人公も、近くにいた「君」がずっと歌っていたことに今まで気付きませんでした。

「君」の存在が当たり前になりすぎて、どこかいい加減な扱いになっていたからでしょう。

蝉時雨は、愛しい彼女の声

どうやら雨の正体は 君の声だった
鳴りやんで 気付いたよ

出典: 蝉時雨 /作詞:粟子真行 作曲:粟子真行

暑い夏の間は、聞こえてくる蝉の鳴き声がうるさく感じるかもしれません。

しかし、夏の終わりに近づくと蝉の数が減ってきます。

静けさが増すにつれて、切なさも少しこみ上げてきます。

時雨も夕立も蝉も、同じようにあっという間に終わりを迎えます。

そして終わってから、それらについて思うことが次々と浮かんでくることがあります。

身近に実在しているときに、どこかおろそかにしてしまう…。

粟子は、そんな「君」=「彼女」の声を巧妙に「蝉時雨」と例えたのでした。

夏の甘酸っぱい恋物語

居なくなってからじゃ サヨナラも言えないな
もう一度聴かせてよ 僕も飛んでみるからさ
待っていて蝉時雨 もう少しだけ鳴り止まないで
優しい雨

出典: 蝉時雨 /作詞:粟子真行 作曲:粟子真行

若い男性と女性の、とある夏の恋物語がこの曲では紡がれていました。

彼の場合はまだ取り返しがつく状態のようです。

それは真摯に今を見つめ、受け入れ、生きている証でしょう。

上に載せた歌詞の最後の一句は、彼女に対する深い愛で満ち溢れています。

人生のバイブルになりうる哲学

繋いだものは 君のメッセージ
いつまでそこで 雨宿りするつもり
さあ、風向きが変わったな
夏が終わってしまう前に 僕らは今

出典: 蝉時雨 /作詞:粟子真行 作曲:粟子真行

彼女の「蝉時雨」がきっかけで、彼は大切なものに気付きました。

そして、すべてが終わってしまう前に取り戻すことができました。

素早く誠実に適切な行動を起こし、恋の続きを育んでいきます。

過去は過ぎ去ったものであり、変えようがありません。

未来も未だ来ていないものであり、憂いていても仕方がありません。

しかし、今を変えることはできます

そしてそれは、五感でとらえられるものを素直に受け止めていくことが前提です。

視覚、聴覚、味覚、嗅覚、触覚を今一度研ぎ澄ませてみましょう。

見落としているとあっ気なく失ってしまう可能性があるものも、まだ取り戻せるかもしれません。

「今」という言葉で終わるこの歌詞からは、粟子の深い哲学のようなものを感じます。