捨て曲? 「なにをやってもあかんわ」
癖になる公式MV(制作費0円)
破竹の勢いでスターダムへとのし上がる岡崎体育。
このアルバムに収録されている「なにをやってもあかんわ」が話題です。
本人が「渾身の捨て曲」と呼んでいるこの曲ですが制作費ほぼ0円でMVを作成します。
笑いという武器を控えめにして大人のアーティストになるべく大胆にベクトルを変換した岡崎体育。
それでも「なにをやってもあかんわ」には固有のユーモアと良質な諦念が共存しています。
歌詞の内容は深読みを赦さないストレートなものなのですがリスナーに様々な思いを去来させるでしょう。
この曲の歌詞を紐解きながら生きるって何か? などの壮大なテーマに挑戦いたします。
まずはYouTubeで公開された公式MVへのリンクを貼りましたのでぜひご覧ください。
1回でも視てしまうと癖になって何度もリピートしたくなるやばい動画です。
それでは歌詞を見ていきましょう。
あきらめたらそこで試合終了
それならもう家に帰って寝たい
もうなにをやってもあかんわ もうなにをやってもな
もう実際問題あかんとおもった時点でもうあかんわ
出典: なにをやってもあかんわ/作詞:岡崎体育 作曲:岡崎体育
「あきらめたらそこで試合終了ですよ」とはマンガ「SLUM DUNK」の一番の名言です。
あかんはあかんというラインには同じスピリッツを感じるのですがニュアンスがちょっと違うみたい。
安西先生の言葉で「そうかまだやってみせるわ」と奮起するのがマンガの世界です。
あかんはあかんなと気付いた途端にすべての自分の諦念を受け入れてしまうのが岡崎体育の世界。
あかんと気付いたらその時点で試合終了だから、もう家に帰って寝ていいですか? そんな想いが滲みます。
どうしようもない男のどうしようもない情緒なのですが実際の岡崎体育はアリーナを満員にさせるのです。
岡崎体育の野望や信念の強さを侮ってはいけません。
とはいえ彼が惰性のようなものと無縁であるということはまったくないはずです。
もう少し先まで見ていきましょう。
オレはもう寝る
生産性重視の社会への一撃
もうなにをやってもあかんわ もうなにをやってもな
もう一体全体なんなんだ もういっそ一生寝たろかな
出典: なにをやってもあかんわ/作詞:岡崎体育 作曲:岡崎体育
どうにもならないときは寝てしまうのに限るのですがそれが一生だと話は変わります。
一生寝て過ごすことができるならばそれはそれで「勝ち組」なのではという思いもする次第。
何も産まないで消費するだけの人生。
横たわって眠くもないのに布団の中。
時々見る夢は小学校や中学校、高校、大学でそれぞれ進級できなくなる夢。
目を覚まして思うのは「なにをやってもあかんわ」。
つまり寝ていてもあかんという思いです。
しかし病気などの深刻な事情もなく働かずに寝ていられるのは滅多にない幸福でしょう。
とんでもない運の良さです。
生産性ばかりが取り沙汰される窮屈な社会へのアンチテーゼでもあります。
非生産的な態度に終始するのは資本主義社会ではラディカルな存在です。
レッツドロップアウトの精神でいきましょう。
人生がダメなときはどうせどうにもならないのですから。
昼夜逆転でメンタル崩壊
レンチンの寂しい音
筋書きのない昼夜逆転劇は宝の山か それとも臓器肉骨神経蝕む墓場か
西日の台所で一人で食うボロネーゼ(冷凍食品)になんか泣きそうだ
出典: なにをやってもあかんわ/作詞:尾崎体育 作曲:尾崎体育
寝てばかりいるとどうしても昼夜逆転の生活になります。
夜勤の仕事をしていても昼夜逆転になるでしょう。
夜勤の仕事を岡崎体育がしたのかなとはちょっと思えないのでここは惰性で昼夜逆転したはずです。
他人様が仕事をしている時間に寝ているというのは優越感と劣等感が両方襲ってきます。
ふたつの感情の間で引き裂かれるような思いがするものです。
しかし昼夜逆転の暮らしは確実にあなたの身体と心を蝕みます。
寝すぎると何故か背骨が痛むし頭痛がする。
そして心に至ってはもう自分ほどのダメ人間はいないと自虐の心に元々小さなプライドを食い散らされます。
西の空に陽が沈む中でその日食べる初めての食事。
朝食と呼んでいいのか分からないその食べ物はアイリス・オーヤマの5000円の電子レンジでチンしたもの。
温める機能しかついていない電子レンジですが一人暮らしの心強い味方です。
しかし如何に電子レンジが便利でも自炊といえない料理をひとりで食べるのは神経が病みます。
なんでオレは孤独なんだろう? と尋ねても誰も答えてくれません。
ボロネーズをおかわりしたら電子レンジがチンと鳴ってくれるかもしれませんが慰みにはならないです。