自然の摂理

人が流れついた先は花。

涙や愛は花の一部となる。

ここまで、「花」について二つの角度が述べられました。

しかし、「花」そのものがどういうものなのかは語られていません。

この次でやっと「花」とは何なのかが判明します。

そして同時に、この曲が一番伝えたいメッセージも。

独特な視点から見た人と花の関係に迫ってみましょう。

花と人

花は花として わらいもできる
人は人として 涙をながす
それが自然のうたなのさ
心の中に 心の中に 花を咲かそうよ
泣きなさい 笑いなさい
いついつまでも いついつまでも
花をつかもうよ

出典: 花/作詞:喜納昌吉 作曲:喜納昌吉

「花」は、やはり人の心の中にあるもののようです。

心に花を持ち、花を抱えることが大事なのだということでしょうか。

1行目の「花」を擬人化したような言い回しも、なんとも情景的。

3行目の歌詞からして、人が泣くのと同じで花が笑うのも自然なことなのかもしれません。

では、「花が笑う」とはどういうことなのか。

蕾がほころんだり、日差しを浴びたり、そよ風に揺れたり…。

どれも笑っているように感じられます。

そして、花を見ているだけで人も笑顔になれる。

そんなふうに豊かな心を持てば、人もまた自然に生きる生き物としてのびのびと生きられるでしょう。

「花」は何の花?

一言に「花」といっても、お花には色々な種類があります。

そのため歌詞を見て、「どんな花なんだろう」と思う人もいるかもしれません。

沖縄を前面に出すなら、でいごの花(ハイビスカス)でしょうか。

人それぞれの花

結論から言ってしまえば、「花」に特に決まったイメージはないように思います。

聴いた人の思い浮かべた「花」が、その人の心に咲く花なのでしょう。

この曲を聴いてどんなお花を思い浮かべましたか?

ハイビスカスでも桜でも、スズランや蓮の花でも良い。

特に決まったお名前があるわけではない、想像上のお花でも良いでしょうね。

大切なのはお花の種類ではなく、心に花を咲かせることなのです。

花から考える人の存在

「花」では、人もまた自然の一部であると解釈できそうな部分がありました。

沖縄の音楽はのんびりとした優しい曲調だから、そのように感じられるというのもあるかもしれません。

ともあれ、他のポップスやロックでは表現することができない雰囲気です。

この空気感こそ、「花」が大切にしているものではないでしょうか。

都会にいると、どうしても人は心をすり減らしてしまいます。

社交辞令で笑いたくないのに笑わないといけないし、笑いたいのに笑えない状況だってあるでしょう。

人間関係で悩むこともありますし、余裕を持てません。

余裕がなければ、心を豊かにすることはできないでしょう。

そういった意味で、人間は花を咲かせることは難しい生き物なのかもしれません。

しかし豊かな心を持とうと、つまり心に花を持とうと意識できるのもまた人なのです。

環境に揉まれていると花を咲かせるのは難しく、一方で花を咲かせようと安らげる。

「花」からすれば、人は複雑で頼りにもなる存在でしょう。

「花」が伝えたいこと

歌詞から分かったように「花」は心に咲くものです。

歌詞では「心に花を咲かせましょう」と伝えていますが、お花を咲かせることで何が起こるのでしょうか。

心を彩るもの

「花」は「心に余裕を持ちましょう」ということを伝えたいのではないでしょうか。

ただし「余裕を持つ」とは、ダラダラしろということではありません。

歌詞にもあるように、泣いたり笑ったり愛したりして「感情をしっかり感じる」ことです。

人間は余裕を持てないと、何かを感じることすらもできなくなってしまいます。

何を楽しいと感じ、何を悲しいと感じるのか。

それが分かった時、「自分」というものが確立します。

この歌詞でいう「花が咲く」とは、そういうことなのかもしれません。

心に花が咲いている人は、自分を持っていてとても魅力的なことでしょう。