名古屋が生んだイケメン集団
吉原雅斗さんが所属しているBOYS AND MENの快進撃が止まらない。
ブレイクの兆しは2015年のことでした。
日本ガイシホールで一万人を集めた単独ライブが大成功!
2016年1月リリース15枚目のシングル「BOYMEN NINJYA」から2018年5月の20枚目シングル「進化理論」まで、5作連続オリコンデイリーチャート1位を獲得。
この年には「第58回輝く!日本レコード大賞新人賞」と「2016アジアミュージックアワード ライジングスター賞」も受賞しました。
さらに2017年1月には日本武道館にて初となる単独ライブを実施。2月からは47都道府県ツアーを敢行。
名古屋のご当地アイドルから、全国各地へ知名度を広げました。
そうしていよいよ2019年1月14日には、ボイメン史上最大規模、ナゴヤドームでの単独ライブが決定しています。
今や人気爆発。破竹の勢いの彼ら。
でも、最初からこんなに人気があったわけではないのです。
ここで『BOYS AND MEN』の歴史をちょっとおさらいしておきましょう。
BOYS AND MENをさらっとおさらい
2010年、名古屋を拠点に、歌って踊って芝居のできる男性タレントを育成するプロジェクトが始動。
地元テレビ局の番組と連動してオーディションが行われ、『男性版・宝塚歌劇団』を目指す演劇グループが生まれました。
番組名にちなんで『IKEMEN☆NAGOYA』と呼ばれていたグループは、『BOYS AND MEN』と名称を変更。
劇団旗揚げのミュージカルに向けて、準備を開始しました。
歌やダンス、芝居を披露するライブ活動や、本公演のキャスティングを兼ねたテスト公演も定期的に開催。
そして2010年11月、旗揚げ公演『ストレート ドライブ』を上演。
でも、試練はこれから先のことだったのです。
行き詰まりの始まり
公演は行ったものの、『BOYS AND MEN』の活動はすでに行き詰まっていました。
地元でもなかなか知名度が上がらず、イベントや公演の集客もふるわず、スポンサーも集まらない状況が続いたのです。
活動拠点の練習場がないため、公園や高架下で練習する日々。
スタート当初は60人以上が在籍する大所帯でしたが、先の見えない活動に悩んで、グループを去るメンバーが相次ぎました。
自然と芽生えた仲間意識
最終的に残ったのが、現在の10人だったのです。
現在の勢いからは考えられないような、長く辛い下積みを経験しているのですね。
彼らから伝わってくる骨太な男気や互いを思いやる仲間意識は、厳しい現実や先の見えない不安を乗り越える中で育ってきたのかもしれません。
吉原雅斗さん、グループの中でのポジションは?
吉原雅斗さんは、結成から1年ほど後にオーディションを受けてグループに加入しました。
もともと大河ドラマ好きの父親の影響で「時代劇に出る人になりたい」と夢見ていた彼。
高校生の頃から名古屋でタレント事務所に入り、地元のCMなどに出演していました。
事務所のタレント仲間が『BOYS AND MEN』に加入していた関係で、旗揚げ公演『ストレート ドライブ』を見に行ったのです。
そして、ここで彼の人生は大きく開けることになったのでした。
晴れてメンバーになったものの・・・
「あの人たちと一緒にやりたい」
そう考えてボイメン加入を決意。
オーディションに受かり、晴れてメンバーになったのです。
しかし、苦労はそこから始まります。
結成1年目当時のボイメンは、もっとも厳しい時期でした。
テレビ番組も終わり、仕事がない、給料が出ない。
地元でも知られていないボイメンを知ってもらうため、メンバー自ら地道にビラを配り、細かいイベントにも全力で取り組むのは当たり前。
だけどそれ以上に、先の見えない中、数十人もいるメンバー内で争われる、ポジションの奪い合いもきっと熾烈だったことでしょう。
吉凶混合の”立ち位置”確保
ボイメン加入後、他のメンバーの舞台を袖で見ているだけの時期がしばらく続いた吉原雅斗さん。
そこでめげずに歌もダンスもがんばったのでしょう。
『ホワイト☆タイツ』ののメインキャスト『ヤンキー5人組』のひとりに選抜されるチャンスが巡ってきます。
ところが、途中から辻本達規に替えられメインキャストからはずれることになりました。
『ヤンキー5人組』は、その後『YanKee5』として、ボイメンのチーム内ユニットへ。
そこからはずれた吉原さんは、『YanKee5』の弟分的ユニット『誠』に途中から加入することになりました。
プロデューサーによれば、メンバー間の仲がよくバランスの取れた『誠』に変化をつけるためだということです。
メンバー間のキャラクターがかぶりがちな大所帯のグループでは、自分の立ち位置を確保するのも大変そうですね。