ここでは「見」飽きる、と歌われていることから、見た目で「かわいい人」「そうでない人」を分けているようです。

「美人は三日で飽きる」という言葉を、一度は耳にしたことがあるでしょう。

この対義語とされているのが「ブスは三日で慣れる」です。

まずは人を「美人」「ブス」に大別しなければ気が済まない心理が浮かび上がります。

自分の容姿に何の不満もない人は圧倒的に少なく、多くの人が「見た目」にコンプレックスを感じています。

そういった人たちにとってこの曲の冒頭は「それから?」と先を知りたくなるような歌詞だと言えます。

では、なぜ「かわいい人」は見飽きてしまうのでしょうか。

「ちょっとブス」はなぜ飽きないの?

だからこそではないけど
ちょっとブスな人のほうが
かわいい部分をみつけるのに
時間がかかるから見飽きない

出典: かわいいひと/作詞:マナ 作曲:マナ

「なるほど!」と膝を打つ女子が続出する歌詞です。

かわいい人は、目にした瞬間から「かわいい」のメーターが上限いっぱいまで振り切れています。

かわいい人は何を着ても、何を食べても、例え無様な失敗をしても、とにかく可愛いのです。

メーターの針がそこから動きません。

言い換えれば「それ以上可愛くなることはない」ということではないでしょうか。

毎日変わらず可愛いのであれば、そのうち飽きてしまうかもしれませんね。

一方「ちょっとブスな人」はどうでしょうか。

初めは可愛くない、むしろメーターの針は「ブス」の方に少し傾いています。

その状態で、センスのいい友人に選んでもらった服を着てみたら「かわいい!」と言われるかもしれません。

自分では選ばないような色であっても、実は可愛く着られるのだと分かります。

メーターの針は「かわいい」の方向に少し傾きました。

次にメイクが上手な友人に、似合いそうなメイクをしてもらいます。

いつもと違う自分に、友人も自分も「かわいい!」と思うかもしれません。

こうしてまたメーターの針が動きます。

「ちょっとブス」な人は、何もしなければ「ちょっとブス」のままです。

服やメイクのように自分で変えようとしなければ、誰かに「かわいい」を見つけてもらうしかありません。

そうなると時間がかかってしまいます。

しかし、ちょっとした仕草や言動、見た目のアレンジで「かわいい」へと変化する可能性を秘めています。

この歌詞には「自分から色々なことに挑戦してみようよ!」というメッセージが含まれているような気がします。

補足)「ちょっとブス」ではなく「ブス」の場合は伸びしろがたっぷりあるということです。

流行は「かわいい」の幻想だと思え

流行りのものを身に着けているだけでなぜか「かわいい」と言われる時代。

そんなものに縛られるよりも、本当の可愛さを見つけたほうがいいよ?という歌詞です。

可愛いは、見つかる!

刹那的な可愛さでいいの?

いまがかわいい人は
流行りすたりがはやいものよ
いまがかわいい人は
流行りすたりがはやいものよ

出典: かわいいひと/作詞:マナ 作曲:マナ

可愛さに流行りすたりがある、というのは女性ならではの感性ですね。

毎年眉毛の太さや形に流行があります。口紅の色や質感にも流行があります。

洋服もそうです。靴もそうです。何もかもに流行があります。

こうした流行を全て身につけているのが、「かわいい」の代表格である芸能人やモデルさんです。

テレビやネットで日常的に目にする有名人が身にまとう流行が「かわいい」の基準。

なぜかそんなふうに錯覚してしまうのです。「真似をすれば私も可愛くなれる!」と思ってしまうのです。

さらに、真似をしている人が可愛く見える、というなんとも不思議な現象が起こります。

ですから、今までは冴えないルックスだった女性も、流行を身につけると印象が変わります。

流行を追い続けることが、可愛さを維持することに繋がるのかもしれません。

しかし、追い損ねてしまったら可愛くなくなってしまうということです。

追うことに疲れてしまったら「ちょっとブス」な自分に戻ってしまうでしょう。

この部分の歌詞では「一時的な可愛さは廃れてしまうよ」と歌っているようです。

また、誰かの真似で作り上げる可愛さについても、ちくりと批判しているように感じます。

ずっと変わらない可愛さがいいじゃない!

だからこそではないけど
流行りとかにのらないほうが
かわいい私をみつけられるもんで
ずっとかわいいを見続けれる

出典: かわいいひと/作詞:マナ 作曲:マナ

流行が移り変わるたびに揺れ動く、可愛さの基準。

移り変わる瞬間に気づかなければ、流行遅れの「ちょっとブス」に転落します。

メディアの目を基準とした「かわいい」は不安定で、情報へのアンテナを常に張り巡らせておかなければなりません。

だったら、ずっと変わらない自分だけの可愛さを、自分の中に見つけよう。

CHAIはそう歌っているのでしょう。

誰かの目から見た可愛さではなく、自分の目が納得する可愛さです。

自分の中に見つけた可愛さは自分だけのもの、成長とともに変化はあるかもしれませんがゼロにはなりません

また、自分の中に「かわいい」を見つけたということは、自分の良さを認めてあげたということです。

自分で自分を認めてあげることは、他者に対しての自信に繋がります。

自信を持っている人は、周囲から「魅力的な人」に映ります。

誰も持ち得ない自分だけの「かわいい」は、いつしか他者からの「かわいい」に変わるのでしょう。

「かわいい」に基準はない

誰の目から見て可愛いのか、誰の目から見てちょっとブスなのか。

基準が曖昧な中で「かわいい」について語るのは不毛なことではないでしょうか。

可愛さに正解はない

かわいい人
ちょっとブスな人
いろんな顔があることがふつう

出典: かわいいひと/作詞:マナ 作曲:マナ

ここでは「いろんな顔」と歌っていますが、顔だけに限りません。

背格好も声も様々な能力も、完全に同一の人を探すのは難しいでしょう。

「十人十色」という言葉が示す通り、一人が一つの「何か」を持っているのです。

それは日本に限らず、世界中で言えること。

「普通の顔のプロトタイプはこれ」と示すことができなくても、「色々な顔があるのが普通」とは自信を持って言い切れます。

でもかわいいに正解はないから
決めつけるのはやめ〜よ

出典: かわいいひと/作詞:マナ 作曲:マナ